FC2ブログ
2019
04.03

朽ちた仁王像 ②/③

Category: 未分類

33853817_1640943239380253_957335213707362304_n.jpg

 ところが正直なところ、その姿から仁王像を思い浮かべることは困難でした。仁王像であるという説明がなければ、おそらくは、それとは気づけないのではないかと感じました。
 辛うじて人の立ち姿であることは見て取れるのですが、全体に消耗と劣化が著しく、表情などは全く窺い知ることはできません。仁王像を特徴づける両腕も欠落しています。悪し様に言うなら、立ち枯れた末、風化が進んだ太い柱のようにも見えました。これも、長く川底に埋められていた影響だろうと想像しました。
 そんな仁王像が、今も寺院の一画に大切に安置されているというわけですから、事情を知らない訪問者なら、きっと首を傾げることでしょう。
 しかし、そこには重要な意味があるのだと思います。単に稀代の名工が手掛けたと伝わるからだけではないはずです。以下は、私見です。
 今に見る仁王像の安置は、その昔、これを必死に守ろうとした人々と、そこに込められた彼らの想いに対する深い敬意の現れと見ることができるのではないでしょうか。時代を超えて、この地に生きる人々の心はだということです。だとすれば、たいへん尊いことだと思います。
 その由来を知ってこの寺を訪れる人なら、この仁王像に手を合わせる人もあるのではないでしょうか(余談ですが、像の両脇には、奉納されたと思われる千羽鶴が写っていました)。

 その時、ある想いが頭を過ぎりました。それは、仁王像(広義には仏)に手を合わせるとき、その手を合わせている人自身が仏になっているのではないかというものでした。(以下、③/③へつづく)

70-3.jpg
※クリックすると拡大して見られます。
スポンサーサイト

トラックバックURL
http://zitaichinyo.blog.fc2.com/tb.php/740-0f933f73
トラックバック
コメント
管理者にだけ表示を許可する
 
back-to-top