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2018
09.11

大きな木R ②/④

Category: 未分類

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 長い時間が過ぎ、少年はまた木の下にやってきました。木は以前と同じように誘います。ところが、少年は温かく暮らせる家が欲しいと言います。木に家はありません。そこで木は、自分の枝を切って家を作り、幸せになるように言います。
 枝を集めて持ち帰り、家を作った少年を見て、木は幸せになりました。
 それから長い時間が過ぎ、少年はまた戻ってきました。木は同じように語りかけます。ところが、今度は、遠くにいくための船が欲しいと言います。木は即座に、自分の幹を切って船を作り、幸せになるように言います。少年は言われたように幹を切り倒し、船を作って遠くに旅立ちます。
 ずいぶん長い時間が流れ、少年はまた戻ってきました。ところが今度ばかりは、木はあげられるものがありません。切り株だけになった木は、少年にそのことを告げます。ところが、歳をとった少年は次のように言います。
 「ぼくはもう、とくになにもひつようはしない。こしをおろしてやすめる しずかなばしょがあればそれでいいんだ。ずいぶんつかれてしまった。」
 そして、木の誘いにしたがい、そこにこしを下ろします。それで木は幸せになるのでした。   〈村上春樹 訳 あすなろ書房〉


 「おおきな木」を母性の象徴と感じる読者が多いのではないでしょうか。少年に対して無私・無償の愛を与え続ける「おおきな木」は、母親の有り様そのものとも言えるものです。「おおきな木」の慈愛は、眩しいほどに迫ってきます。
 一方で、この話から連想されるのが、仏の一つである「観音菩薩」です。般若心経では、冒頭で「観自在菩(かんじざいぼさつ)」とも読まれます。「観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)」と呼ばれることもあります。

 仏教では、仏を「如来」と「菩薩」という概念で区別しています。「如来」は、悟りを開き、真理の世界(彼岸)から教えを広めている仏です。釈迦如来、阿弥陀如来、薬師如来、大日如来などの仏がそれです。
 これに対して「菩薩」というのは「菩提薩捶(ぼだいさった)」、つまり、悟りを求める者という意味です。「如来」に限りなく近い位置にありながら、現世に留まり、私たち凡夫を救うことを務めとする仏です。宝冠、胸飾りなど豪華な装飾品を身につけた姿にその特徴があります。釈迦が出家する前の姿を表しているとされます。
 そこで「観世音菩薩」ですが、この仏は、その名前を称えるとその音を観じて願いを成就させてくれるという仏です。現世利益の成就に霊験があるとされることから今日まで、最も広く民衆の信仰を集めている仏の一つです。(以下、③/④につづく)

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※クリックすると拡大して見られます。



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