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2018
07.23

扇子は扇子ではないR ③/④

Category: 未分類

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 「月」を例にしてみましょう。天体としての「月」は確かにあります。しかし、「月」という文字や言葉に実体はありません。太陽系の第3惑星である地球を周回してる天体に、「月」という文字を充てているだけです。英語では「moon」、フランス語では「lune」、ドイツ語では「mond」です。もちろん「太陽系」、「惑星」、「地球」、「天体」などの文字も言葉もすべては「概念」に過ぎません。すべて仮に付けられた名前です。
 したがって、「月」という文字や言葉に接したとき、受け止める側のイメージは、十人十色のはずです。そのとき、「月」は十個あると言ってもいいのだと思います。「わたし」のイメージする「月」と、「あなた」のイメージする「月」とは、明らかに異なるはずです。

 こんなふうに考えてくると、「即非の論理」もその前半の部分は理解できるようにも思えてきます。つまり、「概念」の全否定です。「概念」を否定するということは、それを言語化した言葉や表現化した文字の否定でもあります。これらのものを全て認めない、あるいは信用しないというのが、禅の基本的な立場です。それには、次のような理由があります。
 いつも言うように、人間は、自らの好みや思い込みに基づいて、観たり、聴いたり、嗅いだり、味わったり、触れたりして、外界の世界を把握・認識していきます。そのため、なかなか真実の姿(実相)を知ることができません。しかし、そうではあっても、人間は、諸器官(眼・耳・鼻・舌・身・意)に頼らずして対象を把握することも、認識することもできません。そして、その先に言葉や文字が生み出され、「概念」や「思考」、さらには「論理」が形成されていきます。そして、その「概念」や「思考」「論理」を統合したものが「私」という、いわば“総合概念”です。したがって、「私」にも実体はありません。
 ところが、厄介なことに、その「私」が、その好みや思い込みを押しつけながら、情報の再収集を始めます。こうして言葉や文字、「概念」や「思考」「論理」は、ますます偏り、歪み、真理から遠ざかっていきます。
 「不立文字」という思想の根底には、言葉や文字、「概念」や「思考」「論理」などの持つ、このような危うさに対する強い警戒心があるのだと思います。それが、「即非の論理」という論法となって定着したのではないでしょうか。
 このように考えてくると、前半の「Aは、Aにあらず」は、すべての概念を否定し、否定し、否定し尽くすことで、いわば絶対平等の論理に導くための方便と捉えられます。ここまでは、理解できるような気がします。 (以下、④/④につづく)
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