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2018
07.13

扇子は扇子ではないR ①/④

Category: 未分類
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  暑い日が続いています。そこで、今回は扇子にまつわる話をしたいと思います。禅の思想を紹介した本の中に、たいへん不思議なやりとりが載せられていました。それは、次のようなものでした。
  甲が、扇子を示して乙に問いかけます。
  「これは何ですか?」
 目の前に扇子が示されたのですから、乙は、当然 のごとく次のように答えます。
  「それは扇子です。」
 ところが、甲は、言い放ちます。
 「違います!」
それを聞いた乙は驚いて甲に聞き返します。
 「では、それはいったい何ですか?」
すると、甲は、平然として、次のように答えます。
 「これは扇子です。」

 言うまでもなく、甲とは、禅の奥義を究めた人物のことです。そして、乙は、私たち凡人の代表と考えてよいでしょう。
 甲の言う「扇子」と、乙の言う「扇子」に違いがあるとは思えません。現に、最初は否定した甲も、結局は「扇子」であると言っています。では、なぜ初めに「扇子ではない」と言ったのか。そこが問題です。まったく、不可解で、不可思議なやりとりです。
 明治時代、禅を欧米に紹介した哲学者として知られる鈴木大拙(すずきだいせつ)は、これを禅の思想を特徴づける理念の一つとして、「即非の論理」と呼んでいます。「AはAに非ず。ゆえにこれをAと名づく」というやっかいな論法です。
 「金剛経(こんごうきょう)」というお経の中には、この論法に基づいた記述がたくさん出てきます。読者なら、この論法をどのようにとらえられるでしょうか。
 『金剛経』というのは、その昔、釈迦が弟子の一人である須菩提(しゅぼだい)に説いたとされるお経です。その経文の一文を聞いて、大鑑慧能(だいかんえのう)という中国禅の本流を築いた高僧が悟りを開いたとも伝えられていることもあり、禅にあっては、重要な経典の一つに数えられているようです。
 難解なお経であり、私のような凡人には、とても荷が重いのですが、いつも紹介する山田無文老師(昭和に活躍した臨済宗の禅僧)の講義録を足がかりに、亀の歩みのように歩みを進めていくとこの論理に出会います。
(以下、②/④につづく)

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