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2018
06.13

仏像に本物はあるか R ②/④

Category: 未分類
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 ところが、作品を観ながら、ある疑問も沸き上がってきました。それは、仏像の「本当の姿」とは一体、何かというものでした。    
 繰り返しになりますが、法華堂の「不空羂索観音菩薩像」にしても、薬師寺の「聖観音菩薩像」にしても、また法隆寺の「釈迦如来坐像」にしても、私には私なりに、これらの仏像に対して抱いてきたイメージがありました。ところが、晴暘の捉えた仏像は、そのイメージとは異なるものでした。
 イメージというのは、それぞれの主観の中から生み出されるものです。一つ一つの仏像に対するイメージというのは、観る側の都合によって一方的に作り上げられるものであり、実体のないものです。
 したがって、晴暘の捉えた「不空羂索観音菩薩像」(以下、「不空羂索観音」とします)の姿も、私がイメージした「不空羂索観音」の姿も、「不空羂索観音」ではありますが、いずれも本当の「不空羂索観音」ではないということです。このことに一つの例外はないと思います。一つの仏像から受ける私たちのイメージは、千差万別です。そして、そのどれもが正しく、どれもが正しくないのだと思います。言い方を換えるなら、私たちは、誰も仏像の「本当の姿」を捉えることができないということになります。
 こんな思いにふけっているうちに、ふっと『般若心経』の経文にある、「無眼耳鼻舌身意(むげんにびぜつしんい)」という文言が思い浮かびました。
 「無眼耳鼻舌身意」。直訳すれば、「眼もなく、耳もなく、鼻もなく、舌もなく、身もなく、意識ものなく」ということになりますから、ないない尽くしで何のことがさっぱり分かりません。おまけに、経文では、次に「無色声香味触法(むしきしょうこうみそくほう)」と続きますから、ますます訳が分からなくなります。「姿もなく、声もなく、香りもなく、味もなく、感覚もなく、自分もなく」というのですから、一体全体、何のことを言っているのか、まさに混乱もここに極まれりです。(以下、③/④につづく)
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