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2018
06.03

化石の説法を聴く R ②/②

Category: 未分類
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 このように、それぞれに「役割」は分かれているとしても、その根本を辿るなら、すべてのものが平等です。何の相違(差別)もありません。差別の世界の中に平等の世界が隠れているのです。いわゆる「差別即平等(さべつそくびょうどう)」です。
  こんなふうに考えると、森羅万象が、ほんとうに愛おしく見え、尊く思えてくるから不思議です。
 仏教思想の特徴は、究極の「性善説」にあると言われますが、私は、その所以は、『般若心経』に示される世界観にあると思っています。その意味で、化石の伝える真実こそ、仏教の世界観を補完するものとして、たいへん興味深く受け止めました。
 「禅」には「無情説法(むじょうせっぽう)」という言葉があります。動物や植物、鉱物なども含めなど、心を持たぬものも、無言のままに真理を説いているという考え方です。その意味では、化石の伝えるこの真理は、「化石の説法」とも言えるのではないでしょうか。
 また、別の機会ではありましたが、「人間が、永遠なるものや絶対的なものに憧れ、それを求めるのは、自らが限りあるものであるからである」という言葉に接し、考えさせられるところがありました。
 思えば、私の「もう一人の自分」探しも、この言葉のとおりだな思いました。「もう一人の自分」などという想定それ自体が、自己の有限性を認めることであり、同時に永遠なる自己に出会うことで「救われたい」という心の動きなのだと思います。
 こんなふうに考えてくると、「もう一人の自分」を探し当てたいと念じる力の源こそは、「自分が救われたい」という、まさに私自身の「煩悩」に根ざしたエネルギーであるということにも気づかされます。
 仏教では、よく「煩悩即菩提(ぼんのうそくだい)」ということを言います。「煩悩」と「菩提」(「悟り」)とは表裏一体のものであるということを言っているのだと思います。
 いずれにしても、いのちを持つものの身体の99.9%が、死後も変化をしながら「他者のいのち」として使われていくという事実には驚かされます。どのような形で「他者のいのち」として現出しているのかは、誰にも分かりません。しかし、間違いなく現出しています。
 「化石の説法」に耳を傾ける限り、私が求めている「もう一人の自分」も、この周辺にあるように思えてきます。
 読者は、「化石説法」は、どのように聴こえてくるのでしょうか。(〆 )

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