2018
04.27

「ゼロ」にならない心 R ②/③

Category: 未分類
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 最初は(週3回)20人くらいから始めた町の掃除は、だんだん増えて、50人以上が参加するようにもなります。
 その中のある男性は、こんな話をします。  
「ゴミ拾いに参加しなくても、どこかで食事をもらうことはできるよ。役所の人たちも食事を用意してくれる。でもその整理券をもらうために並んだことはないんだ。だって、並んでいたら掃除ができなくなっちゃうからな。」 
 ホームレスの人たちは、お金がほしいと言っていない、家がほしいとも言っていない、食事がほしいとも言っていない。それなのに、いったいどうしてこんなに一所懸命に掃除をするのか?
 Aさんは次のように語っています。  
 「何がなくなったとしても人間は、『社会の中で役立ちたい』『他者のために役立つことをしたい』というと言う気持ちは『ゼロ』にならない。結局、自分だけのことじゃなくて、周りがどれだけ幸せになるかを考えていた方がいいんだろうな。」

 禅では、「無心になる」ことが追求されます。これは、我欲を棄て、我執を消し去ることが、一番良い人間形成の道であるという信念に基づいた考え方です。
 山田無文老師(昭和に活躍した臨済宗の禅僧)は、『六祖壇経(ろくそだんきょう)』という経典を解説した本の中で次のように述べています。
 そこに純粋な人間性が自覚されれば、道徳は自然に具わってくる。だから、我々は常にいかに無心になるかということを工夫さえしていればいいのだ。
 様々な事情から、家も仕事もお金も家族もなく「ゼロの人たち」と呼ばれるホームレスの人たちではあります。ところが、それらのものが「ゼロ」になっても「ゼロ」にならないものがある…。それが「社会の役に立ちたい」「あなたのために役に立つことをしたい」という一念である…。無文老師が言う「自然に具わってくる道徳」とは、このことではないでしょうか。
 もちろん、ホームレスの人たちの置かれている状況と禅の修行僧らが「修行」として取り組んでいる状況とは、本質的に異なります。修行僧らが、自ら決意し、選択してその状況の中にあるわけですが、ホームレスの人たちは、「様々な事情」により、やむなくその状況にあるのだと思います。
 しかし、私には「ゼロ」の状態にあるということと、禅で求められる「無心になる」ということが、どうしても重なって見えてしまうのです。(以下、③/③につづ
く)

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