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2018
05.17

「分からないもの」に思う ④/④

Category: 未分類

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 果たして、人類は、将来、残りの96%を捉えることができるのでしょうか。理系に縁の薄い我が身にあっては見当もつきませんが、研究者によっては、その前に人類が自滅する可能性が高いと言いいます(理論物理学者 村山斉氏)。また、マクロの世界に適合する「相対性理論」とミクロの世界に適合する「量子論」を統一する理論の構築は、「夢のまた夢」と評する研究者もいます(理論物理学者 佐藤勝彦氏)。それほどまでに、宇宙は、複雑で神秘に満ち満ちているということです。
 結局、私たち人類は他の動物たちと同じように、わずか4%の固有の「環世界」の中に生きていくことしかできないのではないでしょうか。しかも、その中で行われる観測や分析が、常に正しいとは言えません。宇宙の真実の前に、私たち人類は、まったくお手上げの状態と言ってよいのだと思います。
 しかし、だからといってそれを悲観する必要はないと思うのです。「分からないもの」があるということは、私たちにとって幸いであるというのが、私の見解です。「分からないもの」への畏怖、それは「分からないもの」に対する敬意と表裏一体の関係にあるものだと思います。そして、そのことの前に、私たち人間は謙虚になれるのだと思うのです。

 A・アインシュタインが、次のような言葉を残しています。


 科学に従事している誰もが、自然の法則というものは、人間を遙かに超えた霊魂であり、そのような霊魂を前にすれば、人間は人間の力に対して慎み深くなり、自然の法則に対して謙虚に頭を下げるという自覚に到達することができる。それゆえに科学に没頭するということは、科学者を特殊な宗教的な感情に導くのである。


 人間の傲慢さや貪欲さが自然(広い意味では宇宙)を汚染し、破壊してきた事実は否定できないと思います。それは「分からないもの」への畏怖と敬意を忘れた貪欲の暴走とも言えるものです。それを象徴する典型的な一例が、これまで進められてきた原子力事業でしょう。被災した原発の廃炉や使用済み核燃料の処理の問題など、山積する課題に全く先は見えていません。  
 冒頭で紹介した「サッポロ一番」の作者は、無言のうちに、人間にとって「分からないもの」があるということの意味についての再考を、私たちに促しているのではないでしょうか。そのことを蔑ろにして、自然への敬意や感謝、慎み深さ(アインシュタインの言う「宗教的な感情」)などは生まれないと思うのです。果たして、読者はどのように考えられるでしょうか。

 最後に漂泊の僧、西行法師が、初めて伊勢神宮を参拝したときに読んだと伝わる和歌を紹介して、ブログを閉じたいと思います。
 何事の おはしますかは知らねども かたじけなさに 涙こぼるる  
  (意訳)
 
ここにどのような神がいらっしゃるのかは存じ上げないが、身にしみるようなありがたさがこみ上げてきて、思わず涙がこぼれてしまった。〆)
 
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※クリックすると拡大して見られます。

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