FC2ブログ
2018
03.18

「蜘蛛の糸」を考える ①/③

Category: 未分類
51S4GUn-KIL.jpg 
   友人たちと定期的に集まる会合で、あるテーマについて論議しているとき、「性善説」をとるか「性悪説」をとるかが話題になりました。
 これまでも述べてきたように、仏教は「性善説」の立場をとります。「性善説」というのは、ある条件の下での善の存在を説くものではありません。誰もが例外なく、生まれながらにして善心を宿しているという考え方です。
 “経中の王”とされる『法華経(ほけきょう)』の中には「諸法実相(しょほうじつそう)」という言葉がありますが、これはあらゆる存在も現象も、それを生み出す根源は仏にあり、全てのものに仏性が宿っているという思想です。また、繰り返し紹介しているように、白隠禅師は『座禅和讃』の中で「衆生本来仏(しゅじょうほんらいほとけ)なり」と詠っています。それに、そもそも仏教の宗祖釈迦が悟りを開いたときに発した言葉は「山川国土悉皆成仏(さんせんこくどしつかいじょうぶつ)」だったと伝わります。ちなみに、今回は「仏」、「仏性」と「善」は、同意のものと受け止めてください。また、蛇足ですが、私は「性善説」に惹かれる一人です。
 そんな折、芥川龍之介の名作「蜘蛛の糸」という話を思い出しました。そのあらすじをから確認したいと思います(ウィキペディアの記事より)。
 釈迦はある日の朝、極楽を散歩中に蓮池を通して下の地獄を覗き見た。罪人どもが苦しんでいる中にカンダタ(犍陀多)という男を見つけた。カンダタは殺人や放火もした泥棒であったが、過去に一度だけ善行を成したことがあった。それは林で小さな蜘蛛を踏み殺しかけて止め、命を助けたことだ。それを思い出した釈迦は、彼を地獄から救い出してやろうと、一本の蜘蛛の糸をカンダタめがけて下ろした。
 暗い地獄で天から垂れて来た蜘蛛の糸を見たカンダタは「この糸を登れば地獄から出られる」と考え、糸につかまって昇り始めた。ところが途中で疲れてふと下を見下ろすと、数多の罪人達が自分の下から続いてくる。このままでは重みで糸が切れてしまうと思ったカンダタは、下に向かって
 「この糸は俺のものだ。下りろ。」
と喚いた。すると蜘蛛の糸がカンダタの真上の部分で切れ、カンダタは再び地獄の底に堕ちてしまった。
 無慈悲に自分だけ助かろうとし、結局元の地獄へ堕ちてしまったカンダタを浅ましく思ったのか、それを見ていた釈迦は悲しそうな顔をして蓮池から立ち去った。

 「性善説」が「性悪説」に敗北した話と読むこともできるかと思われますが、私の見解は少し違います。以下、思うところを述べてみたいと思います。(以下、②/③につづう)
64-4.jpg 
※クリックすると拡大して見られます。

スポンサーサイト

トラックバックURL
http://zitaichinyo.blog.fc2.com/tb.php/648-8964dbcb
トラックバック
コメント
管理者にだけ表示を許可する
 
back-to-top