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2018
02.18

仏像を焼く ④/④

Category: 未分類

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 「仏」に形はありません。また、「仏」は姿を留めません。「丹霞焼仏」の逸話は、仏像などという妄念・妄想の産物に手を合わせる暇があったら、自らを含めた森羅万象が「仏」である真実に目を向け、そのことを大切に保っていきなさい…、その先に「悟り」があるのだから…。こんなメッセージを伝えようとしていたのではないでしょうか。

 ところで蛇足ですが、この話を聞いて次のような疑問を持たれる読者があるかも知れません。すなわち、これまでの理屈に倣うなら、木片と言えども「仏」であるわけだから、暖をとるためとはいえ、それを焼くことは、あまりにも身勝手ではないかと。こう問われたら、丹霞禅師は、果たしてどのように答えるのでしょうか?
 以下、禅師からお叱りを受けるのを覚悟で、代わりに私が答えるとしたら、次のようになるかと思います。
 「木片は、我が身を焼くことで見事に私を救済している。これこそが『仏』としての本分ではではないか…」と。
 あまりにも屁理屈が過ぎるのも知れません。笑い話として読み流してくださって結構です
 いずれにせよ、「丹霞焼仏」の逸話に倣うなら、私たちが仏像に手を合わせることに全く無駄なことになります。それどころか、法の真実に背き、罪を犯すことにもなります。いえ、そもそも仏像など必要ないことになります。
 とは言え、寺院を訪れた際、ご本尊を前に合掌・礼拝するのは、私たちの極自然な反応だと思います。このようなとき、私たちは、仏像、そして「仏」をどのように受け止めればよいのでしょうか?

 ちなみに、我が家の菩提寺は禅宗(臨済宗)です。本堂には釈迦如来が安置されています。しかし、菩提寺を訪れたときは、迷わず合掌・礼拝します。そんなときには、いつも次のように考えることにしています。
 ―私たちがご本尊に向かって手を合わせるとき、ご本尊も私たちに手を合わされ、「あなたたちが『仏』ですよ」と説いておられる、と―。
 あまりにも都合のいい解釈でしょうか。読者なら、どのように考えられるでしょうか。(〆)

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※クリックすると拡大して見られます。


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