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2018
02.06

仏像を焼く ①/④

Category: 未分類
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 日本仏教の各宗派にあっては、崇拝されるご本尊はほぼ決まっています。華厳宗や法相宗は盧舎那仏(るしゃなぶつ)、天台宗は釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)、真言宗は大日如来(だいにちにょらい)、浄土宗や浄土真宗は阿弥陀如来(あみだにょらい)といった具合です。もちろん例外はあります。
 ところが、不思議なことに禅宗にあっては特定の仏像がありません。釈迦如来が置かれる場合が最も多いのですが、それが聖観音菩薩(しょうかんのんぼさつ)であったり、珍しいところでは地蔵菩薩(じぞうぼさつ)や布袋和尚(ほていおしょう)であることもあります。これには禅宗が持つ特有の仏像観がその根底にあるようです。
 それを垣間見る上で参考となる面白い逸話が残されています。中国・唐時代に活躍した丹霞天然(たんかてんねん)禅師にまつわる「丹霞焼仏(たんかしょうぶつ)」と呼ばれる話です。小川 隆著(駒澤大学教授)「『禅の語録』導読」に基づいて紹介したいと思います。
  寒い日があり、丹霞禅師が木でできた仏像を焚いて寒さをしのいでいた。それを見た同寺の僧の一人が、驚いて次のように問いただした。
「仏像を燃やしてどうされるつもりか?」
しかし、丹霞禅師は平然として次のように答えた。
「荼毘(だび)にふして、仏舎利(ぶっしゃり)をいただこうと思う」。
僧は、あきれ、責め立てるように言った。
「木でできた仏像など燃やして、仏舎利など見つかるわけはないではないか!」。
すると丹霞禅師は、次のように言い放った。
「それなら、仏像など単なる木ではないか。誰からも責められることはない」。
 それを聞いた僧が、前に進み出ようとすると、なんと眉毛がいっぺんに抜け落ちてしまった。

  最後に“眉毛がいっぺんに抜け落ちる”という奇妙なオチがありますが、これは、偽りの法を説く者は、法罰によって眉毛が落ちるという禅宗独自の信仰に基づく表現のようです。つまり、法の真実に背いているのは木仏を焼いた丹霞禅師ではなく、それを咎めた僧の方にあるということを強調して表現しているわけです。たいへん極端な話ではありますが、これが禅宗の仏像に対する基本的なスタンスのようです。(以下、②/④につづく)

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