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2017
12.11

道元禅師の疑問 ①/③

Category: 未分類
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  今回は、道元禅師(日本曹洞宗の宗祖、以下、道元とします)の思想に焦点を当ててみたいと思います。以下、ひろさちや氏の正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)』(100分de名著)を参考にして、その足跡の概略を紹介します。
 道元は、貴族の家系に生まれましたが、3歳にして父親を8歳にして母親を亡くしたこともあり、14歳のとき出家し、比叡山での修行生活に入ります。しかし、貴族の家に生まれ育てられた道元は、はじめ仏教の世界にはなかなか馴染めなかったようです。
 そして、修行を始めて間もなく一つの大きな疑問に行き当たります。それは「仏教においては、『一切衆生 悉有仏性』(人間はもともと仏性を持ち、そのままで仏である)と教えているのに、なぜ仏教者は仏になるために修行をしなければいけないのか」というものでした。
  道元は、自分が抱いた疑問を比叡山の学僧たちにぶつけます。しかし、誰からも満足のいく答えを与えられません。落胆した道元は18歳になると比叡山を下り、諸方の寺々に師を訪ね歩きますが、そこでも納得のいく答えを得ることができません。そこで、選んだのが、京都・建仁寺で知り合った明全(みょうぜん)とともに宋に渡ることでした。24歳のときでした。それは、自らが抱いた長年の疑問を解くためのものでした。
  ここまでの道元の生い立ち、そして彼が抱いた疑問に接し、ある仏教関係のマンガ本(マンガ「禅の思想」)の中に、次のような場面が描かれていたことを思い出しました。(ちなみに、これは以前、本ブログでも掲載しました)。
 小魚〈子どもの魚〉が大魚〈大人の魚〉に
「海って何?」
と尋ねます。すると、大魚は、
「お前のまわりにあるのが海だ」
と答えます。
 しかし、それを聞いた小魚は、いぶかしげに
「でも、なぜぼくには見えないの?」
と問い返します。
 これに対して、大魚は、
「海はおまえの内側にもあるし外側にもある。海は、あたかもおまえの体のようにおまえをとりまいているのだ」
と答えます。ところが、小魚は、なんのことか分からないといったそぶりでぽかんとしています…。

 このマンガのように、「海」の中にあって「海」とはどのようなものかと尋ねられたらどう答えるでしょうか。恐らくは、誰もが答えに窮するのではないでしょうか。と言うより、そもそもこの質問自体に意味がありません。下手に説明するよりも黙っている方が賢明とも言えます。
 では、このマンガに描かれる大魚の真意とは何なのでしょうか?それは「魚」と「海」は別物ではなく、分離できないということだと思います。つまり、「魚」と「海」はワンセットであるということです。(以下、②/③につづく)
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※クリックすると拡大して見られます。
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