FC2ブログ
2017
11.29

脳だけがまとめ役か ④/④

Category: 未分類

9Fotolia_71039823_Subscription_XL.jpg

 仏教には「一切衆生 悉有仏性」という言葉があります。生きとし生けるものは全てが「仏」であるという意味です。『涅槃経』で説かれる根本思想で、釈迦が悟りを開いたときに発した言葉「山川国土悉皆成仏」にその起源を持つ思想とされる、仏教固有の壮大な世界観です。
 五臓六腑を働かせる力もユリを開花させる力も、人知の遠く及ばぬ絶対的な力によるものです。言うまでもなく、私たち人間もユリも、生きとし生けるものの一部です。「一切衆生 悉有仏性」という世界観に立つなら、生きとし生けるものを生みだし、成り立たせている力を「仏の力」と呼んでも、何の齟齬もないのだと思います。
 友人は詩の中で「第二の自分」としていますが、これが仏教思想における「仏」という概念と同じ範疇にあるもであることは明白です。“煩悩の炎”に身を焦がし、日々右往左往している自分を「第一の自分」とするなら、「第二の自分」は、“宇宙大の大きさを持つ自分”と言えるかも知れません。
 水や空気、鉱物など無機物を現成させるのもこの力によるものです。138億年前に起こったとされるビッグバンも、その後の宇宙の生成・進化も、同じ力によって引き起こされたものと考えてよいと思います。
 その意味では、今、私たちの五臓六腑、そして骨格筋肉、血管や神経を働かせる力も、宇宙を生み出し、成り立たせている力も、同じものであることになります。誤解を恐れずに言うなら、私たちは宇宙の「申し子」であり、「仏」の分身であるということです。
 ところで、このように考えを巡らせることにどのような意味があるのでしょうか?
 単純で小心な私などは、今、自分の中に、宇宙の営みに連なる力が働いているなどと考えると、言い難い心強さ、頼もしさを感じてしまいます。しかも、その力は、脳にミスリードされ「貪・瞋・痴」の真っ只中にあるときでも、私たちの身体の中で確かに働いています。その力に想いを馳せることで、私たちは「我に還る」チャンスを与えられるようにも思えるのです。
 私見ですが、結局、「仏」にしても“サムシンググレート“にしても、私たちにとって、人知の遠く及ばぬものが存在しているということが大きな意味を持つのでないでしょうか。そして、その力に想いを致すことで、私たちは謙虚になれるし、その一点で誰もが共通の感情を分かち合えるような気がするのです。
 それにしても、言葉を吟味し、巧みな表現で端的に想いを綴る友人の才能にはいつも感心させられます。常々、私もこうありたいとは思っているのですが、長々と文章を書き連ねる癖は、なかなか改めることができません。これからも、これでいくことになるのだろうと思います。(〆)

62-2.jpg 
※クリックすると拡大して見られます。
スポンサーサイト

トラックバックURL
http://zitaichinyo.blog.fc2.com/tb.php/623-492b970d
トラックバック
コメント
管理者にだけ表示を許可する
 
back-to-top