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2017
11.17

心の鏡R ⑦/⑦

Category: 未分類

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「自他」(わたしとあなた)は本来「一如(一つのもの)」です。エゴ(我欲)の影響を排した汚れのない「心」の鏡で外部の世界を見つめ直せば、そのことはすぐに分かるというのが禅の主張するところです。
 しかし、現実には、私たちは相対差別、比較分別の世界に生きていかなければなりません。私たちは、日々当たり前のようにして、動物(肉、魚など)や植物(野菜、果物など)、鉱物(石油、鉄など)を食料とし、あるいは様々な資材として取り入れながら生活しています。別な言い方をするなら、それらの命や価値をいただくことで、自らの命を繋いでいます。悪し様に言うならそれらを踏み台にして自らの命を保っています。
 ところが、ともするとそのことを忘れがちになるのが私たちではないでしょうか。
その意味では、常に大きな矛盾を抱えながら現実を生きているのが私たちです。
 そんな私たちにできることは何なのでしょうか?
 私は、これら無情のものたちの力を借りる(消費する、利用する、廃棄するなど)とき、心底から“両手を合わせる”ことではないかと思っています。それが、それらのものたちへの敬意を姿として表すものであることは言うまでもありませんが、同時にそれらのものと私たちとは本来は一つであるということを理性のレベルで再確認することだと受け止めています。
 「心」の鏡は、そのまま放っておくと汚れやすいものです。意識の影響を受けて、エゴ(我欲)の塵や埃で覆われてしまいます。“両手を合わせる”という行為には、意識や意識に付随するエゴ(我欲)の働きを一旦、停止させる意味があるのではないでしょうか。それが「心」の鏡を洗浄することに通じるのだと思うのです。 
 “両手を合わせる”ことは、日本文化の代表格の一つだと言ってよいと思います。また、合掌する姿は人間の最も美しい姿であるとも言われます。抹香臭いと思われるかも知れませんが、敢えてそう言いたいし、そうありたいと思っています。私も、ときあるごとに実践できるよう心がけたいと思っています。(〆)
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