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2017
10.24

心の鏡R ②/⑦

Category: 未分類


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 一度、眼を閉じてみてください。こうすると、「心」には何も映し出されないでしょうか…?いえ、決して、そんなことはありません。眼を閉じたとしても、他の感覚器官を通して様々な情報が入ってきます。台所からカレーのいい匂いがすれば、「今晩は、カレーライスだな」と分かるし、散歩をしていて、ウメの花やキンモクセイの花の匂いがしてくれば、「ああ、ウメの花が咲いているな」「キンモクセイの花が咲いているな」と分かります。このような場面を捉え、禅では次のように言います。「その時、心はカレーやウメ、キンモクセイになっているのだ」…と。
 ずいぶん突飛なことを言っているように思われるかも知れませんが、これが禅の説く「自他一如」という考え方です(「自他不二」という言い方もあります)。「自」というのは、自分のことですが、「他」というのは、他の人を指すものではありません。自分以外の全ての事物を含むものとしての「他」です。自分と自分以外の全てのものは、根源的に一つのものであるというのが禅の基本思想です。
 では、眼を閉じた上に、鼻に鼻栓をしてみましょう。これで鼻からの情報も遮断されました。しかし、この場合でも、「心」には、外界の情報は入ってきます。言うまでもなく耳を通してです。音として捉えられる情報は、実に豊かです。ふだんは眼からの情報に頼ることが多い私たちですが、一端、眼を閉じると、身の回りには様々な音が溢れていることに気づかされます。
 禅では、むしろ音こそが尊重されます。鐘の音が聞こえてくれば、そのとき「心」は鐘になっている…、スズメやカラスの声が聞こえてくれば、「心」はスズメやカラスになっている…、波の音も、風の音もしかりというわけです。
 同様に、舌(味覚)からも、そして触覚からも情報は入ってきます。美味しいお菓子を食べているとき、私たちの「心」はお菓子になっている…、天日で干した温かい布団にくるまっているときには、「心」は布団になっている…、また、春暖の心地よい風に吹かれているときには、春風になっている…、こんな具合です。
(以下、③/⑦につづく)
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※クリックすると拡大して見られます。

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