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2017
10.20

心の鏡R ①/⑦

Category: 未分類

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 「鏡を見たことはありますか?」…。こんなことを聞かれれば、だれもが「ある」と答えることでしょう。では、「鏡に姿がありますか?」と聞かれたら、何と答えるでしょうか。ある人は、その表面を指して「有る」と答えるかも知れませんし、また、ある人は裏面を指して、また、ある人は鏡の枠を指して「有る」と答えるかも知れません。
 何とも答えに窮する質問なのですが、鏡の裏面や枠を指して「有る」と答えた人は、鏡の本質をよく考えた人と言えるかも知れません。なぜなら鏡の表面は、自由自在に外界の物を写し出し、刻々と表情を変化させるからです。前に「顔」があれば「顔」を、「花」があれば「花」を、「山」があれば「山」を、「雲」があれば「雲」を映し出します。けれども、それは鏡本来の姿ではありません。映し出しているものは、全て虚像だからです
 では、鏡が何でも忠実に映し出すという性質を利用して、鏡の前にもう一枚別の鏡を置いてはどうでしょう。ところがご承知のとおり、鏡の中には絵画における遠近法の如く、無数の枠が映し出されるだけです。では、鏡に姿は「無いか?」と言えば、確かに有ります。
  禅では、よく鏡を「心」に重ね合わせて喩えます。「心」も鏡とよく似た性質をもっているというわけです。つまり、鏡と同じように、外界の対象物を何でも映し出すということです。月を見れば「心」は月を映し出し、海を見れば海を映し出し、花を見れば花を映し出す…といった具合です。
 しかし、言うまでもなく「心」にも姿がありません。したがって、見ることも、触れることもできません。もちろん、音も、匂いも、味もありません。全く、とりつく島もないものが「心」です。しかし、そうではあっても「心」は確かにあります。禅では、この辺りのことを捉えて、鏡と似ていると言っているのだと思います。
 しかし、「心」の全ての性質が鏡と同じだと言っているのではありません。「心」には、「心」がもつ固有の性質があります。以下、そのことについて述べてみたいと思います。 (以下、②/⑦につづく)

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