2017
08.25

バッハの音楽は「悟り」から?② /④

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b0bfb2bc496a2c1c763b71c3b2380c95.jpg[J・S・バッハ]
【篠崎】
 バッハ(の音楽)は人前では弾きたくない。いちばん単純な答えはそこだ。
 バッハ(の音楽)というのは、弾き終わった後、観客から「ブラボーッ!」と言って欲しくない曲だと思っている。弾き終わった後、“シーン”としているのが好きだし、終わった後、側まで寄って来て「ありがとう」と言ってもらえたら、たぶん最高のバッハが弾けたんだろうと思う。
 人間はしゃべっているとき、それは脳を通じて自分の経験といろいろなものを足し合わせてしゃべっている。思考とか言語とか行動とかはコントロールできる。しかし、心臓が動いたり、血液が流れていたりするのをコントロールすることはできない。そのコントロールできないところを全て持っているのがバッハ(の音楽)だと思う。バッハの音楽というのは自然の営みになっているから、コントロールできないところまで行っている。だから、それを演奏するには自分が宇宙にならないと無理。かといって宇宙になれるわけではないが、生命力を感じるから、凄い魅力を感じる。
【広上】
 どんな下手な子どもの(弾く)バッハ(の音楽)でも、どんな名手の大家の(弾く)バッハの音楽でも、ぼくはみんな聴ける。
【篠崎】
  さっき言った生命力というのは(子どもが弾いても名手が弾いても)重みが同じだということだと思う。同じ価値があるのだと思う。バッハは、どんな初心者であろうが大家であろうが、万人に音楽の贈り物をくれたとのだと思う。偉大な作曲家のもと、万人が平等であるということだと思う。
【広上】
 だからバッハが音楽の父というのは、たぶん宗教で言うとVater=父でしょう。
Vaterは神でしょう。


 篠崎氏の「コントロールできないところを全て持っているのがバッハ(の音楽)であり、それを演奏するのは自分が宇宙にならないと無理」という言葉が妙に心に残りました。
 「演奏家がコントロールできない音楽」とは、どのようなことなのでしょう。通常、演奏家というのは作曲家の意図を汲みつつも、そこに自らの想いを重ねながら、自分らしい表現を目指すのだと思います。
 同じ作曲家のピアノ曲であっても、A氏の弾く曲とB氏の弾く曲とではずいぶん雰囲気が違うものです。同様に、同じ作曲家の交響曲であっても、演奏するオーケストラ、そして何よりも指揮者によってその曲の印象は大きく変わります。そこには演奏家(オーケストラであれば指揮者)の音楽観や人生観に基づく解釈や主張などが反映されるものです。篠崎氏の言葉を借りるなら、それが演奏家のがコントロールできる“マインド”ということだろうと思います。クラッシック音楽を鑑賞するときの面白さ、まさにその違いを聴き味わうことにあるのだと思います。ところが篠崎氏によれば、バッハの音楽だけは別だというわけです。
 あいにく私はこれまであまりバッハの音楽に馴染んできた方ではなかったので、すぐさま合点はできませんでした。しかし、たいへん新鮮なものを感じました。そして、番組を見終えた後、次のように勝手な思いを巡らせました。(以下、③/④につづく)

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