2016
09.27

オリンピック精神とは?④/④

Category: 未分類

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 私見ではありますが、私たちがこの種の話に心を打たれるのは、デ・リマ選手の場合と同様に、肌の色や言語、文化、宗教などを超えたところにある心、誰もが生まれながらにして持っている「自他を超越した崇高な心」が、静かに響き合っているからではないかと思うのです。そして、その心の主体者こそが「第二の自分」ではないかと思うのです。
 そう言えば、先に紹介したデ・リマ選手についても、大会後、心温まるエピソードが残されています。デ・リマ選手が示した素晴らしいオリンピック精神に対して世界中から賞賛の拍手が送られましたが、その後、IOC(国際オリンピック委員会)からも特製メダルを贈られました。そして、そのメダルには、近代オリンピックの生みの親であるクーベルタン男爵の名が刻まれていました。
 それにしても、このような逸話が永く私たちの記憶に残り、後世まで語り継がれていくのはなぜでしょうか。そこには、私たちのどのような心が働くのでしょうか。以下は、いつものように独りよがりな思索です。
 結局、私たちは「第一の自分」だけで生きているわけではないということだと思います。相対差別の世界の中にあっても、私たちの中には常に「第二の自分」つまり「自他を超越した崇高な心」が存在しているということです。そして、通常、私たちはそれに気づいていません。
 しかし、あることをきっかけとして期せずしてそれが働き出すときがあります。それがデ・リマ選手の逸話であったり、今回の二人の女子選手にまつわる逸話などではないかというのが私の見解です。このような事実に出会うことで、オリンピック憲章に謳われる「友情」や「平等」「連携」「平和」「相互理解」、さらに言うなら「人類を愛さずにはおれない、世界を愛さずにはおれない」という純粋なヒューマニズムが無意識の中に蘇り醸成されて、私たちの心の中の奧深いところに静かに定着していくのではないかと思うのです。

 次回2020年は、いよいよ東京でのオリンピックでの開催となります。これまで以上に日本人選手のメダルの色、メダルの数、勝敗などに関心が集まるかとは思いますが、それとは別のところで、オリンピック精神に通じる選手たちの活躍ぶりにも大いに目を向け、それを愛でる心を持つことができるようにしたいものだと思います。(〆)

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※クリックすると拡大して見られます。

次回は「瓦を磨く」を掲載(3回配信)します。ぜひ、ご訪問ください。


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