2017
07.16

「光のない光」で見る!①/④

Category: 未分類
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 仏教における苦の分類としてよく知られるものに四苦八苦があります。 苦とは、「苦しみ」のことではなく「思うようにならない」ことを意味します。その中の四苦は最も根本的な苦とされ、「生・老・病・死」がそれにあたります。他の四つ苦がありますが、紙面の関係で、ここでは割愛します。
 「生・老・病・死」はいずれも「思うようにならない」ものであり、その意味では仏教がこれらを根本苦としていることはよく理解できるものです。
 ただ、それらを並列に捉えられないのが私たちです。とりわけ「死」の問題は深刻です。「死」は、誰も避けることはできません。しかし、避けられないとは分かっていても、少しでも先延ばししたいというのが私たちの偽らざる願いではあり、「死」を恐れ、怯(おび)えつつも、普段それを忘れたことにしているというのが私たちの実態ではないでしょうか。ここに私たちの最大の「苦」があるのだと思います。私たちは、この人生の大問題にどのように対処したらよいのでしょうか?
 ところで先日、ラジオ放送(NHK「宗教の時間」)でたいへん興味深い話を聞くことができました。「生死一如を生きる」と題された話でした。死ねば終わりと考える人が多い現代ではありますが、「生と死は一つの世界である」と実感して生きた平井謙次氏(14歳のころリュウマチ熱に罹患し、重度の臓弁膜症を併発。3度の心臓手術を行なうも、生涯を心臓病とともに暮らす。30歳ごろより断食、坐禅、ヨガ、食養など東洋的な思想を学び、太陽保育園創設、「もとはこちら会」などを主宰)の人生観について、その愛弟子である北原ゆり氏が語ったものでした。
 その中で「虹の話」が心に残りました。要点は次のようなものでした。
 太陽光は、無色・透明であり、私たちはそれを見ることができない―。ところが、今そこにプリズムを置くことで、太陽光は、七色の虹となって私たちに見えるようになる―。この七色の虹が、私たちの肉体である―。これが、「生」を得るということである―。プリズムという「縁」をいただくことによって、私たちはこの世に現れてくる―。したがって、「縁」(プリズム)がなくなれば、私たちの肉体はなくなり、見えなくなる―。これが「死」である―。しかし、見えなくはなっても、無色・透明の太陽光は変わることなくそこに存在し続ける―。
 たいへん説得力のあるお話だと受け止めました。「人間は、どこからやって来て、どこに行くのか?」…。これは人類が抱える最大の問題ではありますが、それは、そのまま私たち一人一人が抱える「生・死」の問題でもあります。太陽光、プリズム、七色の虹という具体物をもとに、この問題の本質を見事に解き明かした北原氏のお話は、心に深く響くものでした。(以下、②/④へつづく)

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