2017
06.10

ミクロの世界と一元論 ②/④

Category: 未分類
185c552d65815ec0d476ab6e6c508ad5.jpg
 志村氏の話で、私が興味をそそられたことがもう一つありました。「二元論から一元論へ 西洋思想から東洋思想へ」と題した話でした。その要点は、次の2点にありました。
①キリスト教や西洋の思想の原点は、神が様々なものを創造し、最後に人間をつくって自然や地上の生き物を支配するというところにある。
②東洋の自然観は、植物や動物(人間を含む)などが、持ちつ持たれつ輪廻しているとされるもので、西洋思想に見られる「人間と自然」という二元論的な対立関係を超えた一元論的な見方にその特徴がある。
 物事を一元論的に見るということは、この世に孤立や対立するものは何一つなく、全ては一元に帰するという世界観に立つことです。具体的には、どういうことなのでしょうか。
 文系人間の勝手な推測ではありますが、それは“原子の世界”から物事を眺めることではないかと思うのです(もちろん原子を構成するものとしては、さらに小さな素粒子がありますが、今回は原子までに留めておきます)。
 ここで志村氏は、たいへん興味深い例を挙げていましたので、要約して紹介したいと思います。
 人間の体にも花にも虫にも石ころにも、あらゆる物質の1立方センチメートルあたり10の23乗個という途方もない数の原子で埋め尽くされている…。仮に一つの原子を直径100メートルの巨大なピンポン球にたとえると、その真ん中に直径1センチメートルの原子核が浮かんでおり、ピンポン球の殻のところを直径1ミリメートルの電子がくるくる回っているというイメージになる…。直径百メートルの巨大なピンポン球の99メートル99センチメートルは、空っぽで何もない…。それぞれの物質はとてつもない数の原子で構成されているが、原子一つ一つはほとんど空っぽであり、それが無数に集まっていてもやはり空っぽである…。
 現代物理学に造詣の深い読者には嘲笑されるかも知れませんが、私にとってまさに目から鱗でした。
 種々の原子の複雑な組み合わせで成り立っているのが私たちの世界です。そこでは、原子同士が持ちつ持たれつの様相を呈しながら、多様に結びついているはずです。ところが、膨大な原子で埋め尽くされている私たちの世界も、ミクロ的な見方をすれば空っぽであるというのです。何とも不思議なことです。 (以下、③/④につづく)
57-5.jpg
※クリックすると拡大して見られます。
スポンサーサイト

トラックバックURL
http://zitaichinyo.blog.fc2.com/tb.php/584-cedd6d6b
トラックバック
コメント
管理者にだけ表示を許可する
 
back-to-top