2017
05.21

「恥ずかしい話」の考察 ③/④

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 仏教では、“煩悩の炎”を吹き消せば、心は鎮まり解放され、行動も自由になると説かれます。思えば、走行で生じる風圧やワイパーの動作に効果がないと気づかされたことが大きな転換点でした。大袈裟か知れませんが、そのとき私の“煩悩の炎”は、一時的に火力を弱めていたのかも知れません。
 もし、あのまま車を暴走させていたら、私は交通事故を起こしていたかも知れません。あるいはスピード違反で検挙されていたかも知れません。私にとって、これほどの不自由はありません。笑われるかも知れませんが、そのとき私は瞬間的に「悟り」の状態に入ったのかも知れません。
 “煩悩の炎”を吹き消すことは、我欲・我執を封印することとも言い換えられるかと思います。それは、自分の都合のいいようにしよう、自分の思い通りにしようという執着心から解放されることでもあります。その意味では、私は自由になったと言えるでしょう。そして、同時に虫も自由になったのです。
 結局は、虫からの「無情説法」を聴いたのだと思います。自分ではどうすることもできないことは、そのままにしておく(受け入れる)…、自分が変わらなければ、相手も変わらない(自分が変われば、相手も変わる)…、自分がつくった苦悩は、自分でしか解消できない…、これが虫からの教えだったと思います。
 “煩悩の炎”を吹き消し、我欲・我執を封印することを「悟り」と定義するなら、私はそのチャンスを虫から与えてもらったのです。改めて思い返すと、誠にありがたく、得難い出会いだったと思います。
 ただ、こんなふうに考えると「悟り」などという体験は、案外、思いがけない場面で得られるのではないかとも思えてきます。そこで最後に、仏教説話として伝わる面白い話を紹介したいと思います。「きこりとサトリ」と題した次のような話です。(以下、④/④につづく)
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