2017
04.23

人を木に変える ③/④

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img_2.jpg [関山禅師]

 達磨は、禅宗の宗祖とされる人物です。日本に伝わる禅宗には、臨済宗、曹洞宗、そして黄檗宗がありますが、いずれの宗派もその法脈は達磨に起原を持ちます。インドから(一説には中東から)中国に渡った達磨の法脈は、その後、二祖慧可(えか)、三祖僧燦(そうさん)、四祖道信(どうしん)、五祖弘忍(ぐにん)、六祖慧能(えのう)と受け継がれ、五家七宗を生みました(臨済宗、潙仰宗、曹洞宗、雲門宗、法眼宗、および臨済宗から分れた楊岐派と黄竜派)。日本へは平安時代から鎌倉時代にかけて、臨済宗と曹洞宗が伝わり、黄檗宗は、臨済宗の傍系として江戸時代に日本で定着しました。
 このように、禅宗にあって特別な存在であるのがこの達磨です。その意味では、達磨は立派に役割を果たしていることになります。趙州は、意図を持たずして衆生を救済していることの奇特さを柏樹子と達磨の在り方の中に見たのではないでしょうか。
 そこで隠元の逸話です。関山の残した一語が他の各本山に残されている語録より百千万倍も勝っているという隠元の真意はどこにあったのでしょうか。この禅問答には、もう一つ深い意味があるようです。
 『庭前の柏樹子の話に賊機あり』…。ポイントになるのはこの「賊機」、つまり「大泥棒のような恐ろしい根性」という言葉だと思われます。果たしてどういうことなのでしょうか?
 ここは再び、無文老師の言葉を頼りにするしかありません。


 われわれからあらゆる意志を奪い取り、あらゆる意欲を奪い取り、一切の妄想や執着をも奪い取り、生命さえも奪い取らずにはおかん、というような泥棒根性がこの趙州の一語の中にはあると、開山国師(関山禅師)は批評されたのである。


 禅の奥義を究めた高僧ならではの表現であり、私など取り付く島もないのですが、以下、いつものように身の程知らずな私見を述べたいと思います。
 趙州から「庭前の柏樹子」という答えを聞いた僧は、思いもしなかったその一語に唖然としたことでしょう。今風な表現をするなら、意表をつかれて“頭の中が真っ白になった”のではないでしょうか。僧は、この一語によって、あらゆる意志や意欲、妄想、執着などを奪い取られたのだと思います。言い換えるなら、「悟り」を得るためのきっかけを与えられたのです。
 関山は、そこを「大泥棒のような恐ろしい根性」と評したのではないでしょうか。そして隠元は、関山のこの境地を深く理解し、感嘆し、平伏したのではないでしょうか。間違っているかも知れません。(以下、④/④につづく)
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※クリックすると拡大して見られます。


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