2017
03.18

聞くこと少なき人は ③/③

Category: 未分類

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 解説(CD録音)を聞きながら、途中でその場から逃げ出したくなるような心境にもなりました。まことに身につまされるお話でした。
 高齢化と少子化はますます進み、社会保障にまつわる問題が深刻化することは目に見えています。それだけに、「社会や国家のお世話にならず、逆に役立つ生き方をする」と言う言葉は胸に刺さります。してもらうのを待つだけという在り方から、できることで世の中に役立っていくという逆転の発想です。今の私にはおよそ縁遠い在り方です。

 それにしても、友松氏が指摘している「多聞」によって得られる知恵とされる仏法の道理とは何のことでしょうか。そして、そのことを通して目指すべき「実老」とはどのようなことなのでしょうか。友松氏は、その詳細については述べていません。ただ、肉体の衰えに抗って生きていくことでないことだけは確かでしょう。
 浅学な私にその答を導き出す能力はとてもありませんが、身の程知らずな私見を述べさせていただくなら、それは「煩悩(貪・瞋・痴)」のもととなる私心をできるだけ排し、無心で生きることに努めることではないでしょうか。
 私たちは、ややもすると自分にとって心地よく、都合のよいことだけを受け入れ、そうでないものを遠ざけようとする心が働きます。そして、その傾向は年を重ねる毎に強くなるというのが私自身の実感であり、自戒でもあります。
 「実老」を生きるというのは、このような私たちの心の持つ性質をしっかりと理解し、それを正しく制御しながら年を重ねていくことではないでしょうか。友松氏の述べる「社会や国家に役立つ生き方」には遠く及びませんが、少しは「独立自尊の生き方」に近づけるのではないか思うのです。
 仏教が発しているメッセージを謙虚に学び続けること、そして、日々、柔らかく、広く、大きな心を持つ努力を続けていくこと、これが今私ができる「実老」を生きることではないかと思っているのです。(〆)

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