2017
03.14

聞くこと少なき人は ②/③

Category: 未分類

うし 
   ただ、そのような受け止め方をしていのたでは、良寛さんの真意を読み取ったことにならないのでしょう。
 良寛さんは、逆説的な言い方をしながら、今生きているこの一日一日を大切にすること、そして、今こうして無事に生きていられるありがたさを噛み締めるように、私たちに諭しているのではないでしょうか。
 しかし、老いを止めることはできません。老いることは誰も避けられません。問題は、それをどう受け止めていったらよいかだと思います。そして、それは今の私自身の大きな問題でもあります。
 ところで、『発句経152番』に次のようなものがあります。「発句経」というのは、原始仏典の一つですが、釈迦が実際に語った言葉を語録の形式で編纂したものです。釈迦の口から発せられた、いわば“生の言葉”と言えるものです。

 聞くこと少なき人は
 かの犂(すき)をひく牡牛のごとく 
 ただ老いるなり
 その肉は肥れど
 その知恵は増すことなからん

 この句について、友松圓諦(ともまつえんたい)氏(神田寺元主管)は、次のように解説(CD録音)しています。その要点を紹介します。


 年寄りの悪い点は、聞くことが嫌いで、聞くよりも知ったかぶりをして一方的に聞かせようとする癖がある―。これが「少聞(しょうもん)」だ―。研究心がなく、勉強しようとする気も少ない―。何を聞いても驚かなくなり、図々しくもなる―。
 「敬老の日」があるが、人間はただ長生きであってはいけない―。ただ老いるだけというのは空しい老い方だ―。釈迦はこれを「空老(くうろう)」と言っている―。「実老(じつろう)」でなくてはならない―。ほんとうに年をとることだ―。
 それには「多聞(たもん)」でなくてはならない―。知恵のある年寄りになることだ―。知恵とは、道理を知ることだ―。仏法の道理が分かっていないと、愚痴が多くなる。愚痴は知恵が病気をしたということだ―。知の“やまいだれ”が痴だ―。
 愚痴があるようでは年が泣く。年寄りになったら、年は知恵の年輪であると分別することが大切だ―。
 その昔は、食老とか棄老という風習があったという―。今では養老、敬老ということになっているが、「実老」でなくては敬老するに値しない―。敬ってもらうようになるには「多聞」によって「実老」になることだ―。
 社会や国家のお世話にならず、逆に役立つ生き方をすることだ―。独立自尊の生き方をすることだ―。釈迦からのメッセージを現代の私たちへの痛棒として噛みしめていくことだ―
。(以下、③/③につづく)

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※クリックすると拡大して見られます。

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