2017
03.10

聞くこと少なき人は ①/③

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 私事ですが誕生日が近づいてきました。この年になると、当然のことながら嬉しいなどいう感覚はありません。また一つ歳を重ねてしまったのか…、余命がまた減ってしまったのか…、などマイナス思考にばかりが募ります。
 特に、日々、肉体的な衰えを実感します。頭の天辺から足のつま先まで、不調を数え挙げれば十指に余るほどで、いずれも若い頃には考えもしなかったような変化ではあります。きっと全身のあらゆる機能が相対的に落ちてきているということでしょう。寂しいことではあるのですが、身体は“本来自分のものではない”ということが分かる年になってきたのでしょう。
 ところで良寛さん(江戸時代末期の曹洞宗の禅僧)が面白い詩を残していること知りました。「無常」と題する詩です。その一部を紹介したいと思います。 
 無常 まことに迅速(じんそく) / 刹那(せつな)刹那に移る
 紅顔 とこしなえに保ちがたく  /  玄髪(げんぱつ)変じて糸となる
 弓を張る脊梁(せきりょう)の骨  /  波を畳(たた)む醜面の皮
 耳蝉(じぜん)竟夜(きょうや)鳴り  / 眼華(がんか)終日飛ぶ
 起居 ながく歎息(たんそく)し  /  依(いき)として杖に倚(よ)って之(ゆ)
 つねに 少壮(しょうそう)のたのしきを憶い
 また 今日のうれいを添う【中略】
 生を三界(さんがい)に受ける者  /  たれ人かここに至らざらん
 少壮 幾時ぞ  /  四大(しだい)日々に衰え               
 心身 夜々に疲る 【以下略】
  次がその意訳です。
 人間の無常はまことに速やかで、一刻一刻変わっていくものだ。少年時代の美しい顔も永久に保つわけにはいかず、黒い髪もたちまち白い糸のようになってしまう。
 背骨は弓のように曲がり、醜い顔の面もさらに波打ってくる。耳鳴りは一晩中するし、眼の中に一日中白いものが舞っている。
 立ったり座ったりするたびに長いため息をし、とぼとぼと杖にすがって歩く。
 いつも若い頃の楽しかったことを思い、そのために余計に今日という日を寂しいと思う。(中略)
  この世に生を受けた者は、例外なくこのような境に至るのだ。時は一時として止まらず、若いときは長続きしない。身体は日ごとに衰え、心身は夜ごとに疲れる。(以下略)
 良寛さんと言えば、「うらを見せ おもてを見せて 散るもみじ」という有名な辞世の句もあるように、人生の達観者として強いイメージがあります。“自分の良いところも悪いところも隠さずにすっかり見せたから、もうこの世に思い残すことはない…”、私たちはその潔さに心を惹かれるのだと思います。
 それだけに、老いることの変化を愚痴っぽく並び立てる良寛さんの態度に、違和感を抱く読者もあるかも知れません。世の「無常」に対する良寛さんからの恨み節のようにも映ります。(以下、②/③につづく)

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※クリックすると拡大して見られます。


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