2017
02.22

「乾屎橛」②/④

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 ところで、『無門関』の中にはこれとたいへんよく似た問答が他にもあります。第18則の「洞山三斤(とうざんきん)と第37則の「庭前柏樹(ていぜんはくじゅ)がそれです。
 第18則の「洞山三斤」では、第21則と同じように「仏とはどのようなものか?」と問われますが、これに対して洞山禅師は「麻が三斤ある」と答えています。「斤」というの重さのことですが、一斤が600gですので「麻が1,800gある」というのがその答えだったというわけです。
 また、第37則の「庭前柏樹」では、「達磨がはるばるインドからやってきた真意は何か?」と問われます。この質問に対しては、趙州(じょうしゅう)禅師が「庭に柏樹子(ビャクシンというヒノキの仲間)がある」と答えています。
 ちなみに、禅にあっては「達磨がやってきた真意は何か?」という問いも、広義には「仏とは何か?」を問うものであるとされます。
 雲をつかむようなやり取りに困惑するばかりですが、これが禅問答です。洞山禅師の答えも趙州禅師の答えも、たまたま目の前にあったものを指して「仏」としたのではないかというのが定説のようですが、とは言っても常識的に見ればたいへん奇妙な答えです。全くかみ合ってないように感じられます。
 ただ、いつも紹介している「山川国土悉皆成仏(さんせんこくどしつかいじょうぶつ)という仏教固有の世界観に立つなら話は別でしょう。「山川国土悉皆成仏」…。伝承によれば、これはその昔、釈迦が菩提樹の下で「悟り」を開いたときに口にした言葉されるものですが、人間を含む動物、植物、さらには無生物も含め、森羅万象に仏が宿っているというという前提に立つなら、この答えも少しも奇異なものではないように思えます。
 ただ、第21則「雲門屎橛」の話の場合は、少し事情が異なるように思えます。もちろん雲門禅師(以下、禅師とします)の境地の中に「山川国土悉皆成仏」という確信があったことは言うまでもないと思います。しかしこの場合、禅師は単に目の前にそれがあったから「乾屎橛」と答えた、ということではないと思うのです。そこには、紛れもなく禅師一流の意図があったはずです。(以下、③/④につづく)
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