2016
11.11

恥ずかしいから使わない ①/③

Category: 未分類
1-21 258 [ハネツルベ]

 今回も、玄侑宗久(臨済宗の僧侶、作家)著の『荘子と遊ぶ』の中にあった興味深い話を紹介したいと思います。
 孔子の弟子であった子貢が、あるとき南方の楚に旅した帰り、変わった老人が畑仕事をしていた。何と老人は井戸の近くからトンネルを掘り、井戸の底まで下ると水甕に水を汲み、それを抱えてはトンネルを上って畑に注いでいたのだ。
 あまりにも非効率なことを憐れんだ子貢は、この老人に“ハネツルベ”という水揚げのための便利な機械があることを告げ、それを使うように勧めた。すると老人は笑いながら、次のように答えた。
 「仕掛けからくり(機械)を用いるものは、必ずからくり事(機事)をするようになる。(中略)わしは“ハネツルベ”を知らないわけではない。ただ、恥ずかしいから使わないのだ」と。

 「恥ずかしいから使わない」というこの言葉が妙に気になりました。荘子は、何に対して恥ずかしいと言っているのか…。便利な機械を用いること、そして何よりも効率主義に走ることがなぜ恥ずかしいことなのか…。こんな疑問が頭を過ぎる読者も多いかと思います。
 「効率」を辞書で引いてみると「費やした労力に対する仕事のはかどりぐあい」とありました。仕事のはかどりを向上させようとするなら、機械や道具の存在なくして効率は考えられないでしょう。話の中にある“ハネツルベ”はそれを象徴するものと捉えてよいと思います。機械や道具によってなされた有用な仕事の量と、それによってもたらされる効果が高ければ高いほど効率はよくなります。
 私たち現代人の通常の感覚では、文明の利器を考案し、生活に役立てることは、むしろ誇らしいことではないかと思うのですが、それを恥ずかしいというのは、一体どういうことなのでしょう。以下、私見を述べてみたいと思います。
 この話から、私たちが学び取らなくてはならないことは明らかだと思います。荘子の“ハネツルベ”に象徴される現代の科学技術は、私たちが便利に快適に生活できるように生み出され、日々進歩してきました。そして、それは私たちの生活の隅々まで行き渡り、今や溢れんばかりです。
 ところが、「それによって幸福になったか?」と問われたとき、必ずしも肯定する人ばかりではないと思います。むしろ、息苦しく住みにくくなっていると感じている人も多いのではないでしょうか。その代表格がコンピュータ(ここでは制御機能を持つ小型の電子部品とします)ではないかと思うのです。(以下、②/③へつづく)

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