2016
10.30

大夢俄に遷る ①/③

Category: 未分類
夢を求める 
 禅には、「大夢俄に遷る(だいむにわかにうつ)」という言葉があります。読者はこの言葉からどのように事柄を想像されるでしょうか。「大夢」とは大きな夢のことであり、「遷る」は移行することですから、永年培ってきた大きな夢が急に実現することになったなどと受け止められるかも知れません。しかし、残念ながら、これでは合格点をもらえません。実は、人が“亡くなる”ことを述べたものです。
 「遷る」には、場所をかえてよそへ移るという意味があります。大きな夢を見ていた状態からよそへ移るわけですから、それは覚めることにほかならないのですが、それを“亡くなる”ことと喩えるところがいかにも禅的であるのかも知れません。
 では「大夢」とは何か…?死ぬことを「大夢」から覚めたとするなら、その後はどうなるのか…?また、「大夢」があれば「小夢」もあるのか…?など、様々な疑問も湧いてきます。
 そこで一つの手がかりとして、江戸時代に活躍した傑僧の一人である沢庵(たくあん)禅師にまつわる逸話を紹介したいと思います。
 沢庵禅師(江戸時代の初期に活躍した臨済宗の高僧)は、その最期に臨み、集まった僧たちから遺偈(ゆいげ)を請われると「夢」という一文字を揮毫(きごう)し、坐ったままの姿勢で亡くなったと伝えられます。沢庵禅師の生涯は、実に波乱に富んだものではありましたが、想像するところその73年の生涯を俯瞰し、「夢」のようなものであったと総括したのだと思います。
 また「夢」と言えば、豊臣秀吉の辞世の句「つゆとおち つゆときへにし わかみかな なにわのことも ゆめの又ゆめ」も思い出されます。戦乱の世を巧みに渡り歩き、地位と名声を高めながら、最後には全国統一という大事業を成し遂げた秀吉にあっても、死に臨むと自分の人生など「夢」のようなものだったというのでしょう。これも禅の思想に通じるのではないでしょうか。
 私たちが通常は「現実」としているものを「夢(大夢)」とし、“亡くなる”ことをその「夢」から覚めることとするこの驚くべき世界観は、果たしてどこに起源を持つのか、私がかねてから気になるところではありました。(以下、②/③へつづく)
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※クリックすると拡大して見られます。


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