2016
10.26

「主人公」を生きる ③/③

Category: 未分類

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 ところで、このように本来の自己、つまり「主人公」を生きることにどのような利点があるでしょうか。以下は私見です。
 これまで繰り返して述べてきたように、来の自己というのは、一つのところに留まらないところにその特徴があります。「無心」、あるいは「無私」の状態にある自分であるからこそ、自然体で自由自在に対応できるということです。結局は、“切り替え”の問題なのではないでしょうか。
 「あ~ァ、あのときは××してしまった。○○しておけばよかったのに情けないことだ…」「あのとき△△さんに言われたことが許せない。絶対に忘れない…」など、私たちにありがちな体験ではあります。
 しかし、禅によれば、このようなときが、心が滞り、固まった状態だということになります。“自我(エゴ)”の働きによる種々の執着のためです。そこに悩みや苦しみの主因があるということです。
   “切り替え”というのは、その場その場で、その「こと」に全力で臨みながらも、場面が変われば素早く切り替え、後に尾を引かないということです。禅では、その様子を鏡に喩えるのだと思います。
 これまでも本ブログで繰り返し述べてきたように、本来の自己(主体的自己)、つまり瑞巌和尚の「主人公」というのは、誰もが生まれながらにして具えているものです。ただ、私たちがそれを実感的に捉えることには大きなハードルがあります。そもそも「無心」、「無私」などという境地は、そうそう簡単に得られるものではありません。
 そこで提案です。本来の自己、つまり「主人公」へのアプローチを“速やかな切り替え”として実践してみてはどうでしょう。それは執着している“わたし”にいち早く気づき、素早く離脱することに通じるのではないかと思うのです。そして、それが次の段階での“新たな成り切り”につながるのではないでしょうか。これが「主人公」が投げかけているメッセージだと思うのです。決して簡単なことではありませんが、これなら私でも取り組んでいけるような気がするのです。
 もっとも、あまり徹底すると、周囲から「あの人は、このごろ歳のせいか物忘れが激しくなった」などと言われかねないので、そこは注意が必要かも知れませんが…。(〆)

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次回は、「大夢俄に遷る(だいむにわかにうつる)を掲載(4回配信)します。ぜひご訪問ください。
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dot 2016.10.28 18:00 | 編集
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