2016
10.18

「主人公」を生きる ①/③

Category: 未分類
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 禅問答集『無門関』の中にある有名な則の一つに「巌喚主人(がんかんしゅじん)」というのがあります。瑞巌師彦(ずいがんしげん)という禅師が登場する、次のようなたいへん短い話です。
 ― 瑞巌和尚は、毎日自分に向かって「おい、主人公」と喚びかけ、自分で「ハイ、ハイ」と応えた。そして、続いて「しっかりしなされや」。「ハイ」。「どんなときにも他人に騙されてはなりませんぞ」。「ハイ、ハイ」と自問自答した ―。
 これだけの内容です。ちなみにこの禅問答の中では、瑞巌和尚が呼びかけている「主人公」とは何かを問われているようです。
 「主人公」という言葉に、読者はどのようなイメージを持たれるでしょうか。おそらくは、映画やドラマ、小説、脚本などの中で活躍する中心人物のことを連想される読者が多いと思います。また、その場合の「主人公」は、ヒーロー(英雄)として描かれることが多いのため、何があっても動じることも揺るぐことのない、泰然自若とした強者のイメージが強いかと思います。その意味では、静的なイメージもあるのかも知れません。
 ところが禅が言う「主人公」はこのイメージとはかなり異なるものです。そこにヒーローなどのイメージがないことは言うまでもありません。ここでの「主人公」というのは、現実の自分を超えたところにある本来の自己(主体的自己)とも言うべきものです。
 また、禅が追究する「主人公」は、決して静的なものではなく、むしろ動的なものとして説明されます。こんな言い方をします。曰く、
 「素晴らしい月だと眺めているときは月が自分になり、きれいな花を見つめているときは花が自分になり、子どもに会えば子どもの心になり、お年寄りに会えばお年寄りの心になる…」と。
 ただ、これを本来の自己の有り様とするなら、あまりに主体性がないのではないかとの疑問も湧くかと思います。相手によってコロコロと変わるような在り方の中に主体性を見いだすことはできないという見方です。
 もっともな指摘だと思います。しかし、ここは一度、主体性ということについて禅がどのような捉え方をしているかを確認しておく必要があるように思います。
(以下、②/③につづく)
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