2017
08.17

心とは何か?⑤/⑤

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 ところで、以下、蛇足になるかと思いますが、最後にもう一つ私見を述べたいと思います。先に、「貪・瞋・痴」に代表される煩悩の働きは、心によるものだと述べました。そして、冒頭で挙げた「心が○○」「心が△△」というのは、この煩悩の働きによるものだとも書きました。
 その意味では、これらの感情の動きというのは、心の持つ負の側面ではないかということです。言い換えるなら、私たちが六道を輪廻する姿の具体的な現れではないかということです。「心が躍る」も「心が挫ける」も、煩悩に導かれて生じる一瞬の感情です。私たちは、ときに有頂天になることもあれば、挫折の中で地獄の責め苦を味わうことがあります。「極楽も 地獄も己が身にありて 鬼も仏も 心なりけり」という有名な道歌もあるように、心次第で、極楽にも地獄にもなるのが私たち有り様です。それは、まさに六道(天道、人道、阿修羅道、餓鬼道、畜生道、地獄道)を輪廻する姿そのものだと思うのです。
 思い込みが過ぎるかも知れませんが、私には、先にあげた二人の禅僧の行為に、六道を輪廻する姿をイメージすることができません。いずれの場合にも、通常なら、厳しい叱責の言葉を浴びせてもおかしくないところです。手荒い僧侶であったら、一撃を見舞ったかも知れません。
 それをしなかったのは、仙厓も良寛も、「悟り」の境地に到達した高僧であったからでしょう。その心は六道を輪廻する心の外にあったはずです。そして、その心により、言葉や文字の不完全さをしっかり見極めていたからこそ、あのような方法をとったのではないでしょうか。
 仙厓や良寛の在り方に学ぶなら、私たちは心という言葉をあまり軽々に使わない方がよいのかも知れません。いとも簡単に「躍ったり」「荒んだり」、あるいは「弾んだり」「挫けたり」するのが心です。まさに、心こそ 心惑わす心なれ 心に心 心許すな」です。心が心を惑わしている…、人間の心はとかくあっちこっちとぶれるから、しっかりと管理しておきなさい…。これが沢庵禅師からの警告です。私たちは、そんな心にもっと注意を傾け、ときに警戒心を持つ必要があるのだと思います。
 仙厓や良寛が会得したような高度な心は簡単には手に入るものではありません。私ができることは言えば、せいぜい心という言葉を軽々しく口にしないようすることくらいですが、それでは甘いでしょうか。(〆)

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※クリックすると拡大して見られます。

次回は、「バッハの音楽は悟りから?」を掲載( 4回配信)します。ぜひご訪問ください。
                                                                       
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