2017
08.09

心とは何か?③/⑤

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 ただ、そうは言っても、心を全て否定してしまったら、身も蓋もないことになってしまいます。フランスの思想家パスカルは、「人間は考える葦である」という有名な言葉を残しています。人間の尊厳の全ては、考えることの中にあり、考えることが、人間の偉大さをつくる…、こんな思想かと思います。
 心がなければ、考えることも、感じることもありません。それができないようなら、人間ではなくなるというのが、常識的な捉え方だと思います。
 結局、心は「有る」でもないが、「無い」でもない…、これが結論なのではないでしょうか。まるで禅問答のようではありますが、こうとしか言いようがないのが心なのだと思います。「心の時代」がなかなか定着しない理由の一つは、ここにあるのではないでしょうか。
 さて、唐突かもしれませんが、ここで江戸時代に活躍した二人の禅僧にまつわる興味深い逸話を紹介したいと思います。仙厓(せんがい)禅師良寛(りょうかん)禅師にまつわる逸話です。西部文浄氏の著である「禅の人」から紹介します。  
 最初に、仙厓禅師に残されている逸話です。
 仙厓禅師(以下、仙厓とします)が博多の聖福寺にいたときのことです。聖福寺の僧堂には仙厓を慕って多くの修行僧が集まっていました。
 ところがその中には、不心得な者たちがおり、夜分こっそりと塀を越えて、博多の花街へ遊びに行くことがありました。仙厓は、早くからそのことに気づいてはいましたが、自らの不徳のいたすところと恥じ、ある夜、人知れずその塀の下に行ってみました。
 するとそこには塀を乗り越えるための踏み台が置かれていました。仙厓は、僧たちの帰る時分を見計らって、その台を取りのけ、そこに坐禅して待ちました。
 そんなことは夢にも知らない僧たちは、外から塀をよじ登り、塀から内に降りようと、しきりに足で探りました。すると、生暖かい踏み台に触れました。少し妙な感じはありましたが、とにかくその上を踏んで降りました。
 降りてから驚きました。星明かりにすかしてみると、あろうことか、踏み台代わりにしたのは、何と仙厓の頭だったのです。さすがの悪僧たちも色を失い、おわびの言葉もなく、ただその場に平伏するのみでした。
「お前たち、体を大事にせにゃいかん。夜は寒いでのう。気をつけることじゃ。」 仙厓はそう言うと、そのまま自分の部屋へ帰ってしまいました。それ以後、夜遊びに出るものは一人もなくなったといいます。
 
次に良寛禅師にまつわる逸話です。(以下、④/⑤につづく)
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※クリックすると拡大して見られます。




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