2016
07.26

庭石に根づいた松 ③/④

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01-00.jpg[正眼寺山門]
 「他力と自力」という問題に対して、老師がこの実話を引用されたことをたいへん興味深く受け止めました。
 この話の中で、「他力」とは何でしょうか。言うまでもなく、松を取り巻く大自然の大きな働きということでしょう。具体的には、松笠を庭石まで運んだ風の力であり、松笠を開かせた陽の力であり、さらにはその種子を発芽させた雨の力などが考えられますが、その他にも、様々な自然の力が複合的に組み合わされ、その生長を支えたに違いありません。ここでの「他力」とは、老師が述べている「人知を超えた天の仕組み」に当たるものと言ってよいかと思います。
 では、「自力」とは何でしょうか。言うまでもなく、松笠が硬い庭石の上を安住の場所に選んだとは思えません。そもそも松笠に意思や意図があろうはずもありません。松笠は、偶然にも庭石の上に運ばれたのです。
 石や岩などというのは、植物の生長にとって最も不向きな場所であるはずです。しかし、それにもかかわらず、松笠はその場に留まり、見事に根づいたのです。このとき、松笠(あるいは松そのもの)が本来的に具えている生命力こそが「自力」ではないでしょうか。老師の言葉を借りるなら、種子(植物)の持つ「無限の能力」ということだと思います。
 では、これを「他力と自力」の問題についての回答として見た場合、どのように受け止めていけばよいのでしょう。
 この点について、山川老師は、あまり多くを語られませんでした。ただ、次のような言葉を示されました。「現成受容(げんじょうじゅようという言葉です。
 さまざまな条件が折り重なって今の結果があることを禅では「現成」といいます。私が生を受け、今までこのような人生を歩んできたこと、そして今、このように生きていることも、すべては「現成」しているということです。したがって、「現成」は選べるものではありません。また、拒めるものでもありません。私たちは、黙ってそのままに受け入れるしかありません。それを禅では「現成受容」といいます。
 こんなふうに言うと、「現成受容」というのは、主体性に欠けた、受動的で消極的な生き方のように見えるかも知れません。ところが、この言葉には、その裏に次のような意味が隠されています。
 それは、すべてを受け入れることによって、自らの内に潜在する素晴らしい能力(老師の言う「無限の能力」)が発揮されてくるという考え方です。たいへん前向きで積極的な考え方です。(以下、④/④につづく)

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