2016
07.14

時間が経てば腹が減る④/④

Category: 未分類

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 私たちは相対差別の世界の中に生きています。相対世界では、自他をいかに厳しく峻別するかが大きな関心事です。一人一人、国籍や文化、言語、思想、あるいは性別や年齢、能力、適正など、まさに千差万別です。そして、その中でいかに自己をアピールし、他者との違いを示すかが求められ、それが、社会の中で優位に立つための必須条件にもなっています。
 しかし、臨済禅師は、相対差別の世界の中にあっても、絶対に峻別できないものがあると言います。それが、「屙屎送尿、著衣喫飯、困じきたれば即ち臥す」ことなのだと思います。重要なのは、それが例外なく“生きる”ことに直結しているという事実はないでしょうか。言うまでもなく、これらの機能を失えば、私たちは生命を維持できません。当たり前であることが素晴らしい…、当たり前であることが尊い…。臨済禅師の発しているメッセージの真意ここにあるのではないでしょうか。
 私たちは「地球人」として生まれ、「地球人」として生き、「地球人」としてその生涯を終えるという運命にあります。そのことは誰も逃れられません。
 “生きる”という事実に根ざし、「地球人」として求められる普遍的な主体性(つまり「主」)に気づくなら、自我(エゴ)に囚われた小賢しい知恵や知識などは役に立たなくなります。そればかりか、それが不必要な選別や差別、競合や競争を生み、私たちの苦悩の原因にもなりかねません。
 仏教には“慈悲”という実践徳目があります。相手と共に喜んだり、楽しんだりするのが“慈”であり、相手と共に悲しんだり、苦しんだりするのが“悲”であるとされます。「地球人」として生きるという高度な自覚があれば、“慈悲”の心が芽生え、その先に「衆生済度」という思想と行動が開かれるということではないでしょうか。
 “本当の賢さとは何か…?”“本当の幸せとは何か…?”これが臨済禅師が突きつけている問いかけなのだと思います。

 先に紹介したラジオ放送でのやりとりのように、仏教、とりわけ禅の説く真意は、案外、単純なことなのかも知れません。ただ、単純であるからこそ、難しいと言えるのかも知れません。力不足ではありますが、私はそこに挑戦したいと思っているのです。(〆)
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