2016
06.08

“角成らず”で勝つ ④/④

Category: 未分類

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 では、私たちは、南泉禅師からの問いかけに、どう答えたらよいのでしょうか。そこでいつもように、身の程知らずな私見です。
 それは、過去の情報をあまり当てにしないということではないでしょうか。言い換えるなら、心をニュートラルにし、マニュアルにこだわらない在り方です。差別・相対性を原理とした世界の中で培われてきた智恵には、限界があということです。
 差別・相対の世界では、「AよりもB」、「いやBよりもC」。「いやいやCよりもD」…。このような議論が永遠に続けられています。そして、Dを最終的な結論として固定していると、さらに新たな結論が登場します。つまり、「いやいやEの方がさらに上だ…」と。
 B、C、D、Eは、すべて想定外です。差別・相対の世界にあっては想定外の連続です。私たちは、常に想定外の世界の真っただ中にいます。その意味では、私たちが想定外という言葉を口にしたとき、それは、私たちの驕りを示していることになるのではないでしょうか。原発事故などに触れて、国政や企業の責任者、あるいは学者などが想定外という言葉を口にすることがありますが、その時点で、人間は敗北を認めたことになるのだと思います。
 「平常是道」を拡大的に解釈するなら、「平常心」を貫くということは、常に「想定しないことが起こる可能性がある」ことを覚悟しながら生きていくこではないでしょうか。そうすれば、現実に想定外のことが起こったとき、私たちは必要以上に慌てたり、パニックなったりしないで済むのかも知れません。
 「将棋電王戦FINAL」でのコンピュータは、奇しくも想定外の妙手により、いわばパニックとなって反則を犯しました。コンピュータは、入力された過去のデータによって機能するものです。過去に「ない」ものは「ない」と考えるコンピュータに、想定を超えた発想は生まれないということだと思います。逆に、過去にこだわらない、無文老師の言う「流れる水のような心境」から生まれる柔軟で変幻自在な発想は、人間だからこそできのだと思います。南泉禅師の真意は、この辺りにあるのではないかと思うのです。

 ちなみに、コンピュータに想定外というデータが入力されていれば、勝負は分からなかったと思われる読者があるかも知れません。しかし、南泉禅師の説く「平常是道」の領域にコンピュータに入り込む余地があるとは思えません。棋士が、定跡を離れ、想定外の妙手を打ち続ければ、人間がコンピュータに負けることはないと思うのですが…。
 さて、将棋に詳しい読者はどのように考えられるでしょうか。(〆)

47-3碧南海浜公園 
※クリックすると拡大して見られます。
次回は、「言葉が通じない」を掲載(4回配信)します。ぜひご訪問ください。




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