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2018
01.13

「苦」にしない生き方 ③/③

Category: 未分類

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 釈迦が述べたように、人生は、さまざまな苦しみに満ちています。冒頭では、「四苦八苦」を例に挙げましたが、これら人間としての本源的な苦しみの他にも、あいさつの話や車のサインの例のように、私たちが「苦」を感じる場面はいくらでもあります。
 煩悩というのは、自分の都合を最優先させた究極の私的な欲求だと言えます。そして、それが叶わないところに「苦」が生じます。その意味では、煩悩の裏返しが「苦」とも言えます。煩悩は無尽です。私たちの「苦」は、尽きることのない煩悩の数と同数にあると言ってもいいのだと思います。
 そこで、執着心を断ち切るための方法です。先にも述べたように、煩悩と「苦」は、表裏一体にあるものです。人生が「苦」に満ちているのは、私たちの心の中に無数の私的な要求が渦巻いているからに他なりません。つまりは、「苦」の種は自らの心の内にあり、そこに外的な要因は存在しないということです。あいさつの話や車のサインの例で言うなら、決して、原因を相手に求めてはならないということでしょう。
 結局、執着心を断つということは、自分ではどうすることもできない事柄を、自分の都合に合わせて変えようとすることをやめということではないでしょうか。私たちは「四苦八苦」から逃れることはできません。また、あいさつや車のサインをしない相手の心を変えることもできません。執着心を断つということは、自分ではどうするこもできない事柄はそのまま放っておくということではないかと思うのです。
 車のサインのように相手がある場合、仮に不満をぶつけるような言動に出たとしたら、間違いなくそこは修羅場になることでしょう。さしずめ次のようなシーンが繰り広げられるのではないでしょうか。
 「あなたのその態度は何だ?わたしが厚意でしたことに対して、お礼もしないとは失礼ではないか?その態度を改めなさい!」
 「それは言いがかりだ。あなたが勝手にしたことに対して、なぜお礼など言わなければならないのか?私には関係ないことだ。」
 「その言葉は聞き捨てならない!外に出なさい!」
 「よろしい、望むところだ!」
 こんなやりとりが高じれば、暴力沙汰になる場合もあるかも知れません。そうすれば、ますます「苦」は増大していきます。「苦」の種は、もともと自分自身の内にあるのですから、その中で処理しなければ「苦」は和らぐことも遠ざけることも、まして滅することもできないということでしょう。
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 いずれにしても、“自分の勝手や都合だけではどうにもならないことがある”そして、“すべては時間が解決してくれる”ということを心底から納得することではないかと思うのです。「一切皆苦」とともに釈迦が説いた真理に「諸法無我(無限の関係性)」と「諸行無常(永遠の変転性)」がありますが、この二つの真理から導き出される真実について高度な認識さえあれば、執着心を断ち切ることができ、「苦」を克服できるということなのでしょう。
                  
  ただ、私のような凡人には、それが難しいのです。理屈では分かっていても、実践となると甚だ心許ないのが実態です。運転中に進入路を譲ったとき、相手の車のハザードランプ(ストップランプ)を意図的に見ないようにすることだけはするまいと思うのですが、こんなレベルだから、いつまで経っても「苦」から逃れられないのだと思います。情けないことです。(〆)

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※クリックすると拡大して見られます。

次回は「清々しい顔 R」を掲載(3回配信)します。ぜひ、ご訪問ください。
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