2016
08.07

昼間に星を見る ①/④

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「星とたんぽぽ」
  青いお空のそこふかく、
  海の小石のそのように、
  夜がくるまでしずんでる、
  昼のお星はめにみえぬ。
  見えぬけれどもあるんだよ、
  見えぬものでもあるんだよ。

 ご存じの通り、これは、金子みすゞの詩「星とたんぽぽ」の前半の部分です。 いつも懇意にしているお寺の院住さんと対談した折、思い出したのがこの詩でした。
 その話は、法蔵菩薩(ほうぞうぼさつ)の誓願を星に喩えたものでした。つまり、法蔵菩薩(後の阿弥陀如来)の誓願は、昼間の星と同様に、見えないけれどもあるという発想から生まれた話でした。
 法蔵菩薩の誓願とは、浄土宗や浄土真宗でよく読まれる『無量寿経(むりょうじゅきょう)』というお経の中に出てくると聞きました。それは、後に阿弥陀如来となる法蔵菩薩が、極楽世界を作る前に「自分の国は、このような世界にしたい」と、あれこれ願い、それを教えとして説いた経典です。
 以下、仏教学者であるひろさちや氏の解説を紹介します。
 『無量寿経』で法蔵菩薩は、四十八の誓願を立てる前に、全体像をこのよう述べています。
 「私が仏(如来と同意)となれたなら、その国土は最もすぐれたものにしたい。住人は素晴らしく、道場は絶妙であり、その国は涅槃のようで、他の国土とは比べものにならないようにしたい。私は、あわれみの心を起こして、すべての人を救いたい。あちらこちらから私の国に生まれ来た者の心が悦びに満ちて清浄となり、すでにわが国に来たならば、快楽に満ち、安穏に生活できるようにしたい」
 誓願を立てた法蔵菩薩は猛烈な修行を経て、はるかな昔に阿弥陀仏となり、その誓願はすべて成就され、現在も継続中であるとされます。
 法蔵菩薩の誓願は、私たちのような凡夫が立てる身勝手で刹那的な願いではありません。私たち凡夫には、とても真似ることのできない、いわば究極の願いです。
 単純な私は、それを生きとし生けるものを現成させている時空を超えた“仏の働き”と理解しています。浄土宗や浄土真宗など、いわゆる浄土門(じょうどもん)の教義からは、余りにも乱暴で稚拙な理解かとお叱りを受けるかも知れませんが、今回に限ってお許しください。以下、この言葉を使って、話を進めたいと思います。(以下、②/③につづく)
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