2016
02.25

「氷の島とねこ」④/④

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 この絵本を読み終わり、思い出したのが白隠禅師(江戸時代に活躍した臨済宗の高僧)の『座禅和讃(ざぜんわさん)の冒頭で詠われる一節でした。
 「衆生本来仏なり 水と氷のごとくにて 水を離れて氷なく 衆生のほかに仏なし」
 白隠禅師(以下、禅師とします)の説く「氷」が「六道」を輪廻する心を指していることは言うまでもありません。その上で、禅師は、「氷」を煩悩から離れられない一般の大衆、つまり「衆生」に喩えています。
 では、「水」とは何のことを喩えたものでしょうか?
 これこそが、「六道輪廻」の世界を超越する心ではないかと思うのです。禅師は、「衆生」は、もともと「仏」であると言います。そして、その上で、「氷」を「衆生」に、「水」を「仏」に喩え、「水」があるからこそ「氷」が存在すると述べています。つまりは、煩悩にまみれた「衆生」も、もともとは誰もが例外なく「仏」であるのだから、そのことにはやく気づき、「仏」としての自分に目覚め、「仏」としての生き方をしていきなさいというのです。軟弱な私などは、いつもこのメッセージに勇気づけられているのです。

 そこで、最後に、絵本のストーリーと『座禅和讃』に見られる思想とを重ね合わせて考えてみたいと思います。禅師の説く「氷」というのは、文字どおり氷の島のことでしょう。そして、「水」というのは、この物語の舞台である広大な海のことでしょう。
 このような見方をすると、敵がい心や独占欲をあらわにした氷の島の姿が、煩悩を抱えた「衆生」の姿に、そして、それを小さな氷の塊に変えていった南の海の有り様が「仏」の姿に見えてこないでしょうか。温かい南の海の持つ大きな力によって、「六道輪廻」の真っただ中にあった氷の島の心は、その体を次第に小さくしながら、次第に「仏」に近づき、ついには海と一体となることで「仏」そのものになったのではないでしょうか。
 最後の場面で、ねこは氷の島と旅した夜空を見上げ、氷の島とそっくりな青い星を見つめます。このとき、ねこは海を含む大宇宙に氷の島、言い換えるなら「仏」の姿を見ていたのではないでしょうか。少し深読みが過ぎるでしょうか。
 いずれにしても大変よくできた絵本だと感じました。読者の皆さんも、ぜひ手に取り、童心にかえって読まれてみてはいかがでしょうか。(〆)

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※クリックすると拡大して見られます。

次回は「心を始末する」を掲載(5回配信)します。ぜひご訪問ください。

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