2016
02.21

「氷の島とねこ」③/④

Category: 未分類
3_201503041052388c2.jpg 
 ところが、北の海に向かい、寒さで動けなくなったねこの姿を目の当たりにしたことで、島の心に劇的な変化が起こります。原文には、その様子が次のように描かれています。
 「島は、くだけそうになるほど、かなしくなりました」
 このときの島の深い悲しみを代弁する、たいへん印象的な表現だと思います。「地獄道(じごくどうになぞらえることも可能かと思います。そして、次の瞬間、島は、ねこを助ける決心をします。物語のクライマックスです。
 島は、自らの身を顧みることなく、みどりの島のある温かい南の海に全力で引き返します。そして、その体を小さく、小さくしながら、ねこを南の海へ運びます。しかし、息を吹き返したねこが気づいたとき、島の姿はありませんでした。
 では、ねこを助ける決心をした場面での島の心を「六道」を巡る心になぞらえるとしたら、どのようになるのでしょうか。読者ならどう答えられるでしょうか?
 以下は、いつものように独りよがりな私見です。
 私は、このときの島の心は「六道輪廻」の思想を超越しているのだと思うのです。
 これまで、「六道」を輪廻する心のことをテーマに話を進めてきておきながら、この場に及んで、それから離れるような展開に持ち込むのはルール違反ではないかとのご意見、ご批判もあろうかと思います。しかし、私には、このときの島の心情を読み解く鍵は、そこにしかないと思うのです。
 絵本の中では
「はやく、はやくあたたかなところへ!氷の島は、力のかぎり はしります」
と描かれます。
 瀕死のねこを助けよう…、それには早く南の海に戻ることしかない…。そのときの島の心に、自らの命運に対するこだわりも、とらわれも一切ありません。また、ねこを自分のもとに留め置きたいという我欲もありません。あるのは、ねこを救いたいという純粋な心だけです。ただただ、ねこを救いたいという一心があるのみです。
 「六道」を迷い、巡る心というのは、“自分が一番可愛い”という思惑に由来するものです。瀕死のねこの姿に接することで島が到達した心の動きというのは、「六道輪廻」の世界にある心とは全く別の次元のところにあるものではないでしょうか。(以下、④/④につづく)

44-3 
※クリックすると拡大して見られます。
スポンサーサイト

トラックバックURL
http://zitaichinyo.blog.fc2.com/tb.php/460-bd62e4a1
トラックバック
コメント
管理者にだけ表示を許可する
 
back-to-top