2016
01.13

「太古の民のおどろきを」②/④

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2 [高村光太郎]

 ところが、購読している書籍(月刊MOKU Vol.275)の中に、たいへん興味深い記事がありました。内田 繁氏(インテリアデザイナー)のインタビュー記事でした。「美」と記憶との関係性について言及したものでした。 
 要約すると、人間が「美しい」と感じるときは記憶が深く関与しているということ、そして、その記憶は、「個人的記憶」「文化的記憶」、そして「前文化的記憶」という三つの階層から成っていると考えられが、最も重要なのが、言葉を獲得する以前の人類に共通する根源的な記憶である「前文化的記憶」であるというものでした。内容の一部を原文のまま紹介します。


 何に美を感じるかは人それぞれだというのは個人的記憶によるものでしょう。また咲き誇るバラの花束も、はかなげに咲く野の花により美しさを感じるというのは、日本人の文化的な記憶です。そして、夕日を見て美しいと感じるのは、前文化的な記憶なのです。火や水、風、光といった普遍的な自然に美を感じる美は、前文化的な記憶として人類の身体に残されているものだと言えます。もっと言うと、これだけ社会や文化が複雑になって行く中で、前文化的な記憶こそが、人々を結びつけていくのかも知れません。


 「前文化的記憶」という言葉に興味をひかれました。地域や歴史、民族、宗教、風習などが異なっても人類が共通して感じる心、つまり普遍的な心があるということを言ったものだと思います。
 内田氏も述べているように、何に美を感じるかは個人の問題であり、その見解となればまさに十人十色、百人百色でしょう。そこには自我(エゴ)の働きが色濃く反映されるからです。ところが、内田氏は、個別的な美を超えたところに「前文化的記憶」に根ざした人類の普遍的な美があると言います。
 以前、知人のお宅を訪問したとき、高村光太郎にこんな歌があることを知りました。
  海にして 太古の民のおどろきを 我ふたたびす 大空のもと
 大空の下で壮大な海の様子を目の当たりにしたときの感動を読んだ詩だと思われますが、注目すべきは、そのときの自分の感動が、太古の昔を生きた人々のそれと少しも異なるものではと気づいたことにあるのではないでしょうか。高村光太郎の驚きは、まさに時空を超えた驚きであるということです。そのバックボーンとなるのが「前文化的記憶」ということではないでしょうか。 (以下、③/④につづく)
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※クリックすると拡大して見られます。

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