2015
12.31

「笑うと咲く」②/②

Category: 未分類

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  「仏心印」を伝えるのが禅宗の使命であるとされます。禅の思想の核心部分にかかわるやり取りだけに、 私のような素人には、とても近づくことのできない領域ではあります。
 ところが、あるときこの則を考える上で、一つのヒントがあることを知りました。いつも参加している禅セミナーで、山川宗玄老師(岐阜県 正眼寺住職)から「咲く」には「笑う」という意味があるということを教えていただいたことでした。これは、先のコラムに添えられていた一文にも符号するものです。
 禅では、物事を一人称で捉えます。いつも言う「わたし」は「わたし」であり、同時に「あなた」でもあるということですが、さらに突き詰めて言うなら「わたし」と「あなた」に区別はない…、ということです。いわゆる「自他一如」の世界観です。これに沿ってこの話を解釈してみます。
 釈迦が中空に差し上げた華は、金波羅華(こんぱらげ)という蓮華の一種とされますが、その華はきっと満開だったことでしょう。そしてそれを見た迦葉は微笑みます。その瞬間、迦葉と金波羅華とは一つになったのではないでしょうか。釈迦は、それを確かめた上で、自らの「悟り」の智慧が、しっかり迦葉に伝わったことを示したということなのだろうと思います。
 禅の教義に随うなら、釈迦が解き明かした真理(「悟り」の智慧)というのは、文字にも言葉にもならないものです。表現すれば真理ではなくなってします。「説似一物即不中(せつじいちもつそくふちゅう)という禅語もあります。何を言っても当たらないということです。
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 禅の話に傾き過ぎたのかも知れません。冒頭に挙げたコラムに戻ります。
 中年女性の小さな親切とそれを笑顔で受けとめた青年、そしてその様子を見て微笑んだ通りがかりの人々は、その時点で一つになっていたのではないでしょうか。さらに言うなら、それぞれの人々の心の中には、“華”が咲いていたのではないでしょうか
 その“華”がどのようなものであったのかを説明することはできません。いえ、説明する必要もないのだと思います。
 私たちが微笑んでいるとき、心の中には“華”が咲いている…。“華”が咲くから微笑むことができる…。「笑う」ことと「咲く」こととは同一と見なすこの見解に、私は大きな魅力を感じるのです。

 年末を迎えました。間もなく新しい年となります。それがどんなに些細で平凡なものであったとしても、明るい笑いとともに、心の中に幸せな華を咲かせることの多い年になることを願わずにはいられません。(〆)

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※クリックすると拡大して見られます。

次回は、「この世で一番愛しいもの」を掲載(1回配信)します。ぜひご訪問ください。
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