2015
12.11

良寛さんの「鍋」⑤/⑤

Category: 未分類
良寛 
 以前、「即非の論理(そくひのろんり
について紹介したことがありました。「AはAに非ず。ゆえにこれをAと名づく」というあの論法です。『金剛経』という経典の中に展開される仏教特有の考え方です。これに随えば、「鍋は鍋に非ず。ゆえにこれを鍋と名づく…」「馬車は馬車に非ず、ゆえに馬車と名づく…」「自動車は自動車に非ず。ゆえに自動車と名づく…」ということになります。いわゆる全否定です。
 この論法は、すべての名称(概念)を否定し、否定し、否定し尽くすことで、“すべては一元に帰する”という真理に気づかせるための便法なのだと思います。現象世界に固定的な実体はないということを主張するための論法と言えるでしょう。その意味では、これも「空」に言及したものと言えます。想像ではありますが、奚仲もその真理を発見したのではないでしょうか?
                   
 冒頭で、「般若(真実の智慧)」に随って、物事をありのままに正しく見ることで自由になれる、楽になれると書きました。ここまで読み進まれた読者は、果たしてどうでしょうか?
 私たちは、日々、現象世界の中で、さまざまな「もの(カネも含む)」に心を奪われ、惑わされています。そして、思うようにならないと言っては悩み苦しみ、不平や不満を漏らしたり、ときには他者を恨み、嫉み、責めたり、争ったりすることもあります。「物」への必要以上の執着が、「事」の成り行きを不透明にし、複雑にする現状があります。
 しかし、その「物」には固定的な実体などはなく、根源は一つであり、すべては仮のものである…。そして、そのように見ることが、世界を正しく見ることである…。こんなふうに考えると、ものの見え方が変わってくるのではないでしょうか。それは、これまで、とかく物質的な豊かさを追い求め、固執することで今、行き詰まっている私たちに自戒のチャンスを与えるのだと思うのです。
 思えば良寛さんの「鍋」の話も、こんなメッセージを伝えているのではないでしょうか。良寛さんは、鍋一つの貧しい生活ではあります。しかし、決してそれを苦にしていません。また卑下もしていません。その姿は、いかにも自然体で、悠々としています。それは、心の持ち方次第で、自由に楽に生きていけるということを私たちに示唆しているのだと思うのです。
 こんなふうに考えてくると、良寛さんは「空」の真の理解者であり、「般若(真実の智慧)」の実践者であったと思えてきます。もっとも、良寛さん自身にそんな思いは無かっただろうと思うのですが…。
 私たちも、思い通りにならなかったり、行き詰まったりしたときなど、ときには「空」に思いを馳せてみてはどうでしょうか。(〆)

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※クリックすると拡大してして見られます。

次回は、「煩悩の行方」を掲載(3回配信)します。ぜひご訪問ください。
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