2015
12.07

良寛さんの「鍋」④/⑤

Category: 未分類
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 「奚仲は、工夫に工夫を重ね、一代のうちに型の異なる馬車を百台も造ったとされるが、彼はいつも車の両輪を外したり、軸を抜いたりして、何かを考えていた。いったい彼は何を考え、何を発見したであろうか?」
 読者は、この問いに対して、どのように答えられるでしょうか。
 「馬車」は、さまざまな部品から構成されています。ながえたがくるまやこしきじくなどがそれです。したがって、「馬車」を解体すれば、あるものはこれらの部品ばかりとなり、そこに「馬車」はありません。つまり、「馬車」に固定的な実体はなく、「空」であるということです。
 このことは、現代の利器である「自動車」も同様でしょう。「自動車」には、数万個の部品があると言われます。そして、その一つ一つに名称が付けられていますが、どれ一つとして「自動車」と呼べるものはありません。ハンドルはハンドルであり、エンジンはエンジン、ブレーキはブレーキです。その意味では「自動車」も「空」です。
 では、「自動車」の最小部品と考えられるボルトナットに固定的な実体があるのでしょうか?
 さすがに、それまでは否定できないだろうと思われる読者があるかも知れません。しかし、よく考えなければなりません。それら最小部品とされるものも、ミクロの単位で分解していけば、分子から原子、原子から素粒子(クォークなど)というように、やがては、最小物質が構成する世界に行き着くことになります。そこは、最小物質に満たされた単一の世界です。そこにはいかなる区分けもありません。そして、それらの部品を特定できるものは何もありません。そのことは「鉄でできた半球状の容器」も同じでしょう。
これが、「空」ということです。
 固定的な実体がないということは、結局、そのものが「ある」とも言えるし、「ない」とも言える状態にあるということです。奚仲の造った「馬車」は「ある」とも言えますが、「ない」とも言えます。「ある」ようで「ない」、「ない」ようで「ある」ということです。これが、「空」の持つ“一元性”という側面ではないでしょうか。(以下、⑤/⑤につづく)

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