2015
11.25

良寛さんの「鍋」①/⑤

Category: 未分類
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 以前、本ブログ「お経で健康になる」で、仏壇の前で『般若心経』の読誦(どくじゅ)を日課にしていると書きました。そして、その際、これを陀羅尼(呪文)と考え、意味を理解することより、声を出して読むことに重きを置いているとも書きました。
 しかし、今回は、敢えてその意味について少し考えてみたいと思います。前言を覆すようで後ろめたいものを感じるのですが、仏教(とりわけ禅)の根本思想である「空(くう)」の概念を把握する上で、『般若心経』は避けて通れないと思うからです。
  「空」という概念はたいへん難解です。転変生、関係性、相対性、一元性などさまざまな側面があると思われるのですが、今回は“一元性”という視点から考えてみたいと思います。
 私見ですが、「空」のもつ“一元性”という側面を考える上で、白隠禅師(江戸時代に活躍した臨済宗の高僧)の『坐禅和讃』の中に一つのヒントがあるように思います。
 白隠禅師は、和讃の中で「直(じき)に自性(じしょう)を証すれば 自性即ち無性(むしょう)にて すでに戯論(けろん)を離れたり」と詠っています。
 「自性」という言葉には、本来の性質、あるいは固定的実体などの意味があります。したがって、この一文は「物事の本質を見極め、そこに全く固定的な実体が無いということが分かれば、無駄な議論は必要なくなる」ほどの意味になります。この「物事には固定的な実体が無い」ということが、「空」の“一元性”ではないかと思うのです。
 『般若心経』では「深般若波羅蜜(はんにゃはらみた)という言葉が5回登場します。「般若」というのは仏の智慧のことで、一般の智恵ではありません。真実の智慧ともされ、物事をありのままに正しく見る智慧ともされます。そして、『般若心経』では、この「般若」によって「空」を把握することが可能になり、その結果として「悟り」を得られると説かれます。つまり、物事に固定的な実体がなく、現象世界にあるものは、すべて仮のものであるということを見極めることで、私たちはより自由に、楽に生きていけるようになるというわけです。
 では、固定的な実体がないとはどのようなことをいうのでしょうか?
 良寛さんにまつわる面白い話があります。(以下、②/⑤につづく)

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