2015
11.13

「たてまえ」と「ほんね」の間で ④/⑤

Category: 未分類
エッシャー天使と悪魔(M・エッシャー画)

 「天使と悪魔、ふたりの私…」、「本当の自分は…?」、それは「三人目の私」であるという部分に興味を惹かれます。「天使と悪魔」という、二つの側面を持つの私の他にもう一人の私がいる、それが「本当の自分」というわけす。
 少し飛躍するかも知れませんが、このことを、先に例示した「道徳の時間」の場合と照合しながら、少し考えてみたいと思います。
 「道徳の時間」では「たてまえ」と「ほんね」が問題でした。したがって、これに当てはめるなら、「たてまえ」で臨む自分「ほんね」で臨む自分のどちらが「本当の自分」かということが問題になるのかと思います。
 「たてまえ」だけの生き方、それは仮面をかぶって生きることにも喩えられます。その場その場で仮面を付け替えては、無理にでもそれにふさわしい生き方をするということです。社会生活を営んでいく上で避けて通れないことではありますが、これを続けていると疲れます。周りの目を気にしながら生きることにもつながり、ストレスも溜まります。
 しかし、だからといって「ほんね」だけで生きようとすれば、他者との間にさまざまな軋轢を生むことになります。自分を大切にするがあまり、相手に対する意識や配慮が希薄になり、関係にも歪みが生じて様々なトラブルに遭遇することにもなります。そして、それがやはりストレスの源ともなります。
 先の「道徳の時間」の授業例でも述べたように、人として求められる道は、「たてまえ」でもなければ「ほんね」でもないのだと思います。それを統合したところにある生き方だと思うのです。
 「お母さんが喜んでくれれば…」という思いの底流にあるのは、「あなた(お母さん)が喜んでくれることが、わたし(ぼく)の悦びである」という、人間としての原初的な感情だと思うのです。その意味では、「三人目」の私というのは、“私を抜きにする”ところに現れる私ということなるのではないでしょうか。いつも言う、「わたし」は「わたし」であると同時に「あなた」でもあるという真理に同化した私です。そして、それに気づいた自分が、「本当の自分」ということではないかと思うのです。(以下、⑤/⑤につづく)

41-4 
※クリックすると拡大して見られます。


スポンサーサイト

トラックバックURL
http://zitaichinyo.blog.fc2.com/tb.php/430-46417f79
トラックバック
コメント
管理者にだけ表示を許可する
 
back-to-top