2015
10.12

『因果一如』①/⑤

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 禅問答集『無門関』の中に、たいへん気になる則があります。「百丈野狐(ひゃくじょうやこ(第二則)という話です。この話には、唐の時代に活躍した百丈懐海(ひゃくじょうえかい)という禅僧が登場します。
 百丈禅師は、法脈上は、臨済宗の宗祖、臨済義玄の祖父に当たる高僧です。その昔、禅宗がまだ独立した寺院や制度、儀式などを持たなかったとき、法堂、僧堂、方丈などの伽藍を設けたり、「百丈清規(ひゃくじょうしんぎ)」と呼ばれる修行生活の規則を作ったことでも知られます。禅宗史上、極めて大きな役割を果たした禅僧の一人です。
 また、「一日作(な)さざれば一日食(く)らわず」という有名な禅語がありますが、これは、百丈禅師が残した言葉です。出家者にとって労働こそが最も重要な修業であり、労働しないなら食べるに値しないということを自らに律して述べた言葉として伝えられています。
 このように、百丈禅師は実在の人物なのですが、『無門関』の第二則に登場する禅師は、たいへん不思議な扱われ方をされており、興味をひかれます。
 その概要は次のようなものです(細川景一著「古木再び生ず」から)。
 百丈禅師が、雲水たちに向かって説法する時、いつも彼らの後で静かに坐って聞く一人の老人がいました。
 ところが、ある時、講義座が終わり雲水たちは退出するのですが、老人は退かずに一人残ります。百丈和尚は不思議に思い、「一体、お前さんは誰か」と問いかけます。
  老人が答えます。「実は、私は人間ではありません。ずっと昔、迦葉仏(かしょうぶつ)の時代、この寺の住職でしたが、ある時、やって来た一人の修行者から次のように問われました。『修行に修行を重ね、大悟徹底した人は、因果律(いんがりつ)の制約を受けるでしょうか、受けないでしょうか?』と。
 私は、即座に、『不落因果(ふらくいんが―因果の制約を受けない』と答えたのですが、その答えのゆえに五百回も生まれ変わり、長い間、野狐の身に堕(お)とされました。なにとぞ憐れと思って、私に代わって正しい見解をお示し下さい」と。
 そう言うと老人は威儀を正して「修行に修行を重ね、大悟徹底した人は、因果律の制約を受けるでしょうか、受けないでしょうか?」と問いかけます。
 それを聞いた百丈和尚は、即座に『不昧因果(ふまいいんが―因果の制約を昧まさない』と答えます。すると、老人は言下に悟りを開き、野狐の身を脱してしまいました
。(以下略)
 寓話のような、何とも不思議な話ではありますが、「禅問答」としてはたいへん難解で、私などには全く歯の立たない難問です。(以下、②/⑤につづく)

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