2015
09.14

「『観音の力』を念じる」①/⑥

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 ある本を読んでいたとき、仏教詩人として知られる坂村真民に「手が欲しい」という詩があることを知りました。
 目の見えない子が描いた / お母さんという絵には 
  いくつもの手が描いてあった 
 それを見たときわたしは 
 千手観音さまの実在をはっきり知った
 それ以来あの一本一本の手が
 いきいきと生きて / 見えるようになった
 異様なおん姿が / すこしも異様ではなく
 真実のおん姿に / 見えるようになった…   
          ※原文では「 / 」は改行されています。
 目の見えない小さな子どもが描いたお母さんの絵には、たくさんの手があったという話です。ご飯を食べさせてくれる手、着替えを手伝ってくれる手、どこにいくにも手を引いてくれる手、お風呂に入てくれる手…。まだその姿を見たことのない子どもにしてみれば、自分が困ったとき、その都度、その都度、救いの手を差し伸べてくれるお母さんの体に何本もの手があるように感じられたとしても、なんの不思議もないのかも知れません。
 その絵を想像するとき、描いた子の感性の豊かさ、表現の自由さに感動を覚えると同時に、この絵から千手観音の実在を「はっきり知った」という作者の告白も、眩しく迫ってきます。
 「千手観音(せんじゅかんのん)といえばその名の通り、千本の手を持つ観音さまのことです。それは、どのような衆生も漏らすことなく救済しようとする慈悲の大きさを表すとされます。千本の手には、それぞれに眼がついており、数珠、宝珠、宝鏡、宝弓、宝剣などさまざまな持物があります。空想上の存在であるとは言え、その姿は異様といえば異様です。
 ところが、作者は、母親を描いたこの絵に触れ、それに「真実のおん姿」を見たと言います。想像ではありますが、これは観音さまの持つ母性的なイメージに由来するのではないでしょうか。「白衣観音」や「慈母観音」に代表されるように、観音さまは、一般に仏像や仏画などでは、女性の姿で描かれることが多い仏です。このため、作者は、子どもの描いた母親の姿に、「千手観音」の姿を重ね合わせたのではないでしょうか。
 ただ、余談ですが、観音さまは、仏教学的には男性であるようです。何でも、菩薩を表すサンスクリット語“ボーデイサットヴァ”は男性のみに使われる言葉なのだそうです。
(以下、②/③につづく)
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※クリックすると拡大して見られます。
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