2015
09.06

『風流』を考える②/③

Category: 未分類

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「六道」とは、次のような六つの心の状態であるときとされます。

 ・「天道」…喜びの真っ直中にあるとき
 ・「人道」…心が平穏な状態にあるとき
 ・「阿修羅道」…争いの中にあるとき
 ・「畜生道」…本能の赴くままにあるとき
 ・「餓鬼道」…際限のない欲望を抑えられないとき
 ・「地獄道」…罰を受けていると感じているとき
 例えば、肥満が気になり食べたいものが食べられないときの「不満」や大切な我が子が思うようにならないときの「苦悩」、嫌な上司の命令に随わなければないときの「憤懣(ふんまん)」などは、心が「餓鬼道」「阿修羅道」あたりを巡っているのではないでしょうか。
 それを“風流”として、文字通り“風に流してしまう”などということは、そう簡単なこととは思えません。いったいどのようなことなのでしょうか。以下、私見を述べてみたいと思います。
 「ゆらぎ」の中にあるときには、自分が揺らいでいることには気づけないはずです。「六道」を迷い、巡っている最中に、そのことに気づくことは不可能でしょう。飛躍するかもしれませんが、それは、有史以来、自転する地球上にあって、人類が永くその事実に気づけなかったこととよく似ていると思います。
 「ゆらぎ」に気づくためには、その外側に客観的な「固定点」を持たなければなりません。そこから眺めることによって「ゆらぎ」の事実を認識でき、内省のチャンスも得られるのです。因みに「地動説」の場合、ガリレオによってもたらされた数多くの科学的データが「固定点」となりました。
 「固定点」を持つということは、どのようなことなのでしょう。
 それは時空を超えたものの見方、考え方に立つことではないかと思うのです。別な言い方をするなら、「六道」の中に揺らいでいる自分から離れ「我にかえる」ということです。自分本来の立ち位置に戻り、「諸行無常」(永遠の転変性)と「諸法無我」(無限の関係性)の中を生きているという真理に目覚めることと言ってもいいでしょう。
 では、私たちが「固定点」を持つことで、どのような変化が生まれるのでしょう。
 それは、自分を抜きにして、広く全体を見渡し見通すことで、真理を見極める冷静さを獲得することではないでしょうか。(以下③/③につづく)
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