2015
04.27

「“目に見えないもの”の働き」③/⑤

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 (では、それらが“目に見えないもの”であったときには、どんな様子だったのでしょうか?想像してみてください。)
 そこには、どんな区別もなく、みんな平等で、何一つとして見分けのつかない世界が広がっていたはずです。人間も動物も植物もありません。男も女もありません。お年寄りも赤ちゃんもありません。もちろん国籍や言葉もありません。すべてが一つのものであったということです。 
 こんなふうに考えてくると、“目に見えるもの”として、いろいろな姿、形でつくり出されるものも、本当はみんな“兄弟”であると思えてこないでしょうか“目に見えるもの”は、“目に見えないもの”から生まれてきた無数の“兄弟たち”であるということです。

 ところで、こんなふうに、地球上にいる動物も植物も、その他の無数の生き物たちも、同じお父さんとお母さんから生まれてきたと“兄弟”であるいうことを考えたとき、私たち人間が、肉や魚、野菜や果物などを食べ物とすることをどのように考えたらよいのでしょうか?
 “生きる”ということは“食べる”ということです。私たちは生きていくために、他の動物、植物を食べなければなりません。でも、それはかれらの命を奪うことです。殺すことです。本当は“兄弟”のはずなのにその命を奪ったり、殺してしまうことをどう考えたらよいのでしょうか?
 もちろん、これは動物たちにも同じことが言えます。ライオンやトラなど肉食動物たちは、他の動物の命を奪うことで、自分の命をつないでいます。それにゾウやウマなど草食動物の場合でも、草や木の葉など植物の体やその一部を食べることで自分の命を保っています。
 ただ、人間の場合は少し事情が違います。人間も大昔は、他の動物と同じように生活していましたが、いつの頃からか、自然の中で暮らしている動物、植物とはべつに、自分たちが食べるためだけに動物を飼育したり、植物を栽培したりするようになりました。ウシやブタなどをたくさん飼育し、大きくしたり太らせたりしてその命を奪う、あるいは、穀物や果物など、いろいろな種類の植物を栽培し、大量に育てたり都合のいいように作りかえたりしてその命を奪う…、こんなことに力を入れるようになりました。 
 私たちは、生きるためには食べなければなりませんが、それには必ず、他の動物や植物の命を奪うという問題が起きます。このことをどう受け止め、どうしたらよいのでしょうか?
  (以下④/⑤につづく)

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