2015
02.26

「『葬式仏教』を考える」②/④

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 日本では中世(平安時代末期~戦国時代末期)まで、亡くなった人は、河原や浜、道路わきの溝などに捨てられていた。死穢(しえ)、つまり死者に触れたり、埋葬などに携わることで生ずる穢れが忌み避けられていたからだ。そんな中で、人々がその弔いを託したのが僧侶たちであり、それが葬式仏教の起こりである・・・。

 日本人が仏教に求めたことと、仏教が果たした意義を改めて考える上で、たいへん興味深い話でした。 
 では、当時の僧は、いったいどのような仕事をしていたのでしょうか。調べてみると次のようなことが分かりました。
 平安時代、僧はほとんどが官僧でした。官僧というのは、いわば国家公務員のようなもので、たいへん難しい国家試験を通らなければなれませんでした。そして、合格した僧は、エリート国家公務員としてその役割を果たす義務がありました。その仕事はと言えば、天皇と国家のために祈ることに限られ、民間への布教は禁じられました。また、天皇のために祈ることを役割としたために、死者に触れたり、埋葬したりすることは許されませんでした。したがって、当時の僧には葬式などできなかったのです。
 このような仏教の有り様に疑問を感じたのが、平安時代末に活躍した法然でした。法然も比叡山で修行と勉学に励むエリート官僧でしたが、仏教の教えは天皇と貴族のためだけにあるのではないという考えから、比叡山を下りて民衆に布教しはじめます。ちなみに、こうして法然が打ち立てた宗派が浄土宗です。
 法然に続いて道元栄西親鸞日蓮、あるいは叡尊忍性といった僧たちが、官僧の道を捨てて民衆へと布教を始めました。これが、鎌倉仏教と総称される新しい仏教の動きでした。
 鎌倉仏教の僧は、官僧ではありません。遁世僧(とんせそう)と呼ばれます。このため、彼らには葬式もできました。彼らは、それまでは供養もされず、ただ捨てられるだけだった死者に対して、民衆から託される形で、救済の意味を込めて葬式を執り行うようになっのです。これは、従来からのタブーを破るものであり、世界の仏教史のなかでも画期的なことでした。
 このように、仏教が広く民衆のものになったとき「葬式仏教」も誕生したと言えるのです。(以下、③/④につづく) 

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